夢幻通り商店街

 
今日はクリスマスイブですね。
イブの夜になると、ふと立ち寄りたくなる場所があります。

セブンイレブン野洲南桜店です。
もう20年以上前、私がまだ若かった頃、イブの夜にここへ立ち寄りました。
目的は・・・
寂しさを紛らわせたかったからだと思います。
もっと他に良い場所がありそうなものですが、その夜、私が選んだのは何故かセブンイレブンでした。
買ったのはパンと塩焼きそばでした。
その後、私はとある墓地の駐車場に移動し、そこで塩焼きそばを食べながら時が流れ去るのを待ちました。


そして、今夜もセブンイレブン野洲南桜店に立ち寄りました。

南桜セブン

あの日と変わらないセブンイレブン・・・
のように見えますが、実はこのセブンイレブンは数年前に改築されているのです。
改築と言っても旧店舗を解体してから新店舗を建てるのではなく、旧店舗の営業をしながら少し奥に新店舗が建てられたのです。
その様子はまるで伊勢神宮の式年遷宮のようでした。
セブンイレブンには伊勢神宮の神明造りのように細部に至るまで守らなければならない建築様式があるのかどうかは知りませんが、外壁はレンガに拘っておられるようです。
と言っても本物のレンガではありません。
レンガ調のタイルです。
そして、お気付きの方もおられると思いますが、ここ数年、新たに開店したお店の場合、外壁はレンガ調のタイルではなくレンガ模様のシートが貼られているのです。
「そんなアホな」と思われた方は最近できた新しいセブンイレブンへ行って外壁を撫でてみてください。
つるっとしているはずです。

野洲外壁

一見あの日のままだけど、実は新しくなっているセブンイレブン野洲南桜店のつるっとした外壁を撫でているうちに、私はふと思いました。

滋賀県で最も古いセブンイレブンの外壁には、もしかしたら本物のレンガが使用されているのではないだろうか?

そう思った私は、いても立ってもいられなくなり、知っている中で最も古いセブンイレブンへ向かいました。
そのセブンイレブンは草津市の草津パナソニック前店です。

セブンイレブンパナソニック

こちらに訪れたのは随分と久しぶりでした。
私の記憶が確かなら約11年ぶりです。
そして、このセブンイレブンに初めて訪れたのは多分25年以上前です。
ちなみに当時の滋賀県内のセブンイレブンの店舗数は今よりずっと少なかったと記憶しています。
今でこそセブンイレブンが滋賀県内で最も店舗数の多いコンビニなりましたが、当時はローソンやサークルKの方が多かったのではないでしょうか。
そのような時代から生き続けているセブンイレブン草津パナソニック前店には今も公衆電話があります。

公衆電話

昔、ポケベルが鳴った時、ここから電話をかけたことがあったような・・・

外壁はやはりレンガ調タイルでした。

パナ外壁

さすがに本物のレンガを使っているセブンイレブンなんてどこにも存在しないでしょうね。

で、クリスマスイブの夜にコンビニをハシゴして外壁を撫でている私はいったい…

まぁ、いいではないですか。
思えば年末と年明け早々の仕事に向けて心の余裕が全く無いまま、いつの間にかクリスマスが終わっていたという年もありました。
シートと比べてほんの少し温かみを感じるレンガ調のタイルを撫でて、心のゆとりを感じるクリスマスイブ・・・
なかなか良いものです。


そして、この後、私はもう一か所、立ち寄りました。
アーケードや一部の店舗が撤去された草津市の夢大路商店街と北中商店街です。
かつて商店街だった所にタワーマンションが建設中です。

きたなか

ちなみにアーケードは現在、中ノ町商店街のみ残っています。

中の町

昨年の12月に草津駅周辺で初音ミクさんをゲストに迎えて動画を撮影しました。
この動画の最初の方に、少しだけ在りし日の夢大路商店街と北中商店街のアーケードが映っています。
曲はWater Gardenで1995年のクリスマスの時期に無料配布したテープに収録した「浄められた夜」という曲を初音ミクさんに歌ってもらったものです。


 
滋賀県守山市の中洲小学校には大きなメタセコイアの木があります。
毎年冬になると「中洲ふれあいの灯」と題して灯りが点されるのですが、来年は守山市の市制施行50周年ということで、そのプレイベントとしてメタセコイアに50000枚のメッセージカードが飾り付けられました。
それにより、このメタセコイアはギネスに世界記録として認定されました!

「メッセージタグの最大展示数」という世界記録のジャンルがあり、13809枚以上になれば世界記録として認定されるということだったのです。
それまでの記録を大幅に上回る50000枚の飾り付けが達成され、見事世界新記録となりました!!
ちなみにメッセージカードが飾り付けられているのは12月26日までで、中洲ふれあいの灯は来年の1月中旬まで点灯しています。

PC150651

で、実を言いますと、私はこの中洲小学校の卒業生なのです。
私が通っていた頃からこのメタセコイアはありましたが、当時はもっと小さかったと記憶しております。

そして先日、久々に学校を訪れた時、グラウンドで遊んでいる子供たちを見ていると、私が小学生だった頃よりも素直で純粋そうに見えてしまいました。


私が小学生だった頃・・・
印象に残っている先生がいます。
5年生と6年生の頃の担任のN先生です。
今では考えられない話ですが、クラスメートを呼び捨てするのは禁止、ちょっとした依怙贔屓など些細なことであっても差別的なことをするのは禁止、そして相手を傷付けるような言動や「アホ」「死ね」などの暴言を1日に3回以上発するとビンタを食らわされるなど・・・
そのようなクラスですから当然いじめなどは発生しません。
しかし当時は正直なところ窮屈さを感じていました。
まさに雁字搦めというやつです。

やがて小学校を卒業し、中学校へ行くと・・・
そこには呼び捨てや些細な依怙贔屓などは当然として、もっと悪質ないじめや校内暴力なども普通に存在しました。
皆が平等で平和だった小学校生活から不公平や理不尽がまかり通る中学校生活にスパッと切り替わったのです。
私も含め、N先生の指導を受けた中洲小学校の卒業生は皆、中学生になると大いに戸惑ったと思います。
しかし、やがてそのような環境に順応し、この世の中にはどうしようもない「上下関係」があるということを自然に学んでいったのだと思います。

それからさらに月日が流れ、やがて大人になって社会人になり、様々なストレスと戦ってきました。
そして気が付けば若くない年齢になりました。
正直に言いますと、若い頃は自分を守るために棘を出すこともありました。
自分の弱さを認めたくないから相手を否定するということもしました。
こう言っては何ですが、いくつになってもそういう行動が改められない人が私の周りに何人かいます。
しかし私は自分を省みて、かなり改善することができました。
失敗から学ぶことの多い人生でしたが、自分と同じように周りの人も尊重しなければという思いは常に持っていられるようになったと思います。

その原点に、もしかしたらN先生の存在があったのかも知れません。
生徒同士が傷付け合うことはもちろん、生徒間の呼び捨てや依怙贔屓のような些細なことまで完全に排除した雁字搦めの指導の中に、小学生の間だからこそ成し得る完璧に平等な世界を体験させて、その日々を心に刻み込ませ、やがて社会人になった時に生かしてほしいという願いが籠められていたのではないでしょうか?

もしそうだとしたら、私はほんの少しだけでもN先生の期待に応えられているかも知れません。


N先生をはじめ、様々な思い出の残る中洲小学校のメタセコイアの木に今年も灯りが点されました。
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50000人の夢や願いが書き込まれたメッセージカードが光を浴びて揺れています。
そして、50000人の50000通りの人生が未来に広がっています。
思い描いた通りの未来が待っているとは限りませんが、小学生の頃に思い描いた夢はかけがえのないものとして心に残るはずです。

そのような想いも込めて先日撮影した動画を編集しました。
学校は所々が改修されていますが校舎も体育館も当時のままです。
そして、学校と同じくらい変わらないのが通学路の風景です。
立田町から通う子供たちが農道から見ている風景は私が小学生だった頃と何一つ変わっていないのではないでしょうか。
野洲川の堤防も、その向こうに見える三上山もあの頃のままです。

今回のBGMはWater Gardenで1995年のクリスマスの時期に無料配布した3曲入りテープの1曲目に収録したlittle winter talesという曲を編曲したものです。
little winter talesというタイトルはギターのkoji atouが名付けましたが、このタイトルを思い出した瞬間、小学校や通学路の風景が頭の中に蘇りました。
もう随分昔の卒業生である私が、昔と変わらない景色を見て心から懐かしさを感じているように、今の子供たちにも何か大切な「変わらないもの」がたくさん残されたら良いなと思いました。




 
滋賀県には古いトンネルが数多く存在しますが、山を貫通したトンネルの中で最も古いのが長浜市の杉本隧道です。

長浜市には大正から昭和初期にかけて隧道設計の第一人者として全国的に知られる村田鶴が設計した芸術的な隧道がいくつか残されていますが、杉本隧道はそれらのような芸術性は無く、あくまで交通の便のために作られた隧道という感じです。

とは言え、山奥にひっそりと佇む姿からは歴史の重みが感じられます。

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実はこの杉本隧道、Wikipediaによりますと1919年竣工で、今年で竣工100年目なのです。
ちなみに1919年は大正8年です。

こちらは記念碑ですが大正7年6月竣工と刻まれています。

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どちらが正しいのか分かりませんが、いずれにせよ竣工から100年以上経過したトンネルなのです。

芸術性は全く感じられないと思ったものの、木之本町杉本側の出口付近のみレンガ積みになっています。

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やはりレンガ積みの隧道は私のような古いトンネルフェチにはたまらなく魅力的です。
今でこそ芸術っぽく見えるレンガ積みですが、当時は土木構造物にレンガは普通に使われていました。

おそらくこのトンネルが作られた当時は完全レンガ積みだったと思われます。
老朽化が進んできたところでモルタルで塗り固められ、なぜか杉本側の出口附近のみモルタルが塗られなかったのだと推測します。

このように途中でレンガが崩れ落ちて掘削面が露出した上からモルタルで塗り固めたような場所があります。
何だか古代遺跡みたいな雰囲気です。

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そして、このトンネルが作られた目的は余呉町方面から木之本町金居原にある土倉鉱山への近道のためです。
土倉鉱山は明治40年に銅鉱脈が発見され、最盛期には1500人もの人が働き、周辺にはスーパーや映画館もできたそうです。

土倉鉱山は昭和40年に閉山となり、今では当時の面影はなく、古代神殿跡のような雰囲気を醸し出しています。

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先日久々に杉本隧道へ行って動画を撮影してきました。
今回は珍しく途中で解説文を入れ、土倉鉱山の画像も挿入しました。



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