夢幻通り商店街

2020年07月


JR草津駅周辺の景色は、どんどん変わっていきました。
私の記憶に残っている中で最初の大きな変化は、平成元年に駅の東口を出て右側に広がる街並みを壊して再開発ビル「エルティ932」が建設されたことでした。
その後、平成9年には駅の西口側の紡績工場跡地を再開発してエイスクエアが開業、そして翌平成10年には駅の東口左側の街並みを壊して近鉄百貨店が開業しました。
さらに道路の整備や大型ホテル、マンションの建設など、見る見るうちに草津駅周辺の景色は変わっていきました。
そのような中で、ひとつの大きな商業施設が姿を消しました。
西友ストアー草津店です。

「西友ストアー」と書きましたが、現在の名称はストアーが無くなって「西友」ですね。
いつ頃まで西友ストアーだったのか調べてみたら昭和58年までだったようです。
草津店が無くなったのは平成12年でした。
つまり2000年代に入ってすぐに閉店となったので、ひとつの時代の終わりを象徴していたような気がします。
その西友草津店の前に一軒のラーメン屋さんがありました。


ラーメン餃子 なかよし


おそらく西友が西友ストアーだった頃から営業されていたお店です。
西友の閉店からしばらくして北中商店街へ移転されたようですが、その北中商店街の一部が平成29年から再開発されることになり、しばらくは仮設店舗で営業されていました。

しかし、その仮設店舗もいつの間にか無くなっていました。


私は、なかよしのラーメンを過去に一度だけ食べたことがありました。
その時は「しょうゆラーメン」を食べたのですが、その味の印象から「次はみそラーメンを食べてみたい」と思いました。
なぜかと言いますと、しょうゆラーメンのスープに生姜の風味が効いていたからです。
そう、このスープの味に、懐かしの札幌ラーメン系チェーン店の面影を感じたのです。
具材は小さめのチャーシューにネギとモヤシとメンマという極めてシンプルなもので、見た目は札幌ラーメンと言うよりも昔ながらの中華そばに近いものですが、麺は加水率高めの中太ちぢれ麺で、これも札幌ラーメン風です。
なので、みそラーメンは間違いなく、あの懐かしい札幌ラーメン系のチェーン店の味をグレードアップさせたものに違いないと確信しました。

しかし・・・

再開発が始まり、仮設店舗もいつの間にか無くなりました。

実はこのお店、日曜は休みなので、ちょっと条件的に立ち寄りにくかったのですが、平日の夜にでも行っておくべきだったなぁと後悔しておりました。

で、先日、何気なくネットで草津駅前の再開発ビル「クロスアベニュー クサツ」のことを調べてみたら、何とそこに、なかよしの新店舗が!!


これは行かねば!!と思い、仕事帰りに行ってまいりました。


こちらが念願のみそラーメンです。

なかよし味噌ラーメン

予想通りの味でした。
懐かしの札幌ラーメン系のチェーン店のみそラーメンをグレードアップさせた感じです。
懐かしさと美味さを同時に味わえます。
こう言っては何ですが、今の私の味覚では、これより美味いみそラーメンは他に存在するのですが、このなかよしのラーメンには美味さだけではない、何かがあると思います。
他に美味いラーメンがあっても、たまに食べたくなる味です。
ちなみに今回は餃子も食べましたが、これが絶品でした。

なかよし餃子

けっこういろんなお店で餃子を食べましたが、久々に大当たりでした。
表はカリッとして、裏はプルンプルンで、中身は思いっきりジューシーです。
ちなみに前回訪れた時は焼飯をいただきましたが、これも絶品でした。
ネット上でいくつかレビューを拝見しましたが、やはりラーメン以上にサイドメニューの評判が高いようです。
次に訪店した時は唐揚げを注文します。
きっと美味いはずです。


先日訪れた時は、ほぼ満席で賑わっていました。
この人気の理由は美味さもあると思いますが、美味さと同等かそれ以上に大切な何かがこのお店に存在しているからだと思います。
それがあるからこそ昭和、平成、令和と3つの時代に渡って愛され続けることができるのでしょう。

新なかよし




     
7月22日の「俺たちの旅」に関する記事で旧ブログについて少し触れましたが、実を言いますと、旧ブログに天地真理ちゃんに関する記事を書いたことが2回あるのです。
まず初めて書いた記事は、私が天地真理ちゃんに興味を持つようになった2017年の年末に書いた「サルビアの花」に関する記事です。
この記事では、オリジナルの早川義夫さんのバージョンと、天地真理ちゃん、フォークユニット「もとまろ」のカバーについて、それぞれの印象を書きました。
そして、次に書いたのは2018年の3月でしたが・・・


それに関連して、まずは、こちらの画像をご覧ください。

昔きたなか2

これは滋賀県草津市の北中商店街のかつての姿です。
アーケードと一部の店舗が解体され、現在はこのようなタワーマンションを中心とした再開発ビルが建ちました。
ビル全体の名称は「クロスアベニュー クサツ」で、マンション部分は「アトラスタワー草津」です。

アトラスタワー

スッキリして綺麗な街並みになって良かったですね・・・
と、言う人が多数を占めているのかも知れませんが、私のように昔ながらの雑多感があってゴチャゴチャした街並みが好きな者には、平凡でつまらない街並みになってしまったと言わざるを得ません。


このご時世、広々として安全なのはいいけど、何か物足りないなぁ・・・と思いながらビル周辺を散策していると・・・


えっ?
この穴は・・・

クロスアベニュー横丁

何と、ビルの1階の真ん中附近にこのような穴が!!


これって、こういう奴とか・・・

トンネル横丁

こういう奴とか・・・

ハモニカ横丁

さらには、こういう奴とかと同類の穴ではないでしょうか!!

サニーストリート

真っさらの綺麗な穴ではありますが、これは紛れもなく令和の時代に新たに誕生したトンネル式の横丁です!!
この中が賑わったら素晴らしい空間になりそうですね。


さらにこのような看板が付いたら完璧だと思うのですが・・・

横丁アップ

私たちの世代にとって、かつての北中商店街のアーケードやサニーストリートがそうであったように、このクロスアベニュー クサツが、今の子供たちや若者たちにとって「思い出の十字路」になるんでしょうね。


という訳で、ここでようやく天地真理ちゃんに話を戻します。


実は私は旧ブログで、このようなタイトルの記事を書きました。
「天地真理さんの『夕焼横丁の人々』と過去、現在、未来」

その記事では「夕焼横丁の人々」という曲について思ったことを書いたのですが、改めて聴いてみると、やはり何とも言えない切ない気分になります。
この「夕焼け横丁の人々」は1976年、つまり昭和51年に行われた天地真理ちゃんの全国ツアー「そよ風に誘われて」の中で歌われた曲であり、正式なスタジオ録音版は存在しませんが、歌詞の内容から考えても間違いなく天地真理ちゃんのオリジナルとして作られた曲だと思います。
古い時代を懐かしむという文化は平成に入ってから生まれたものだと思っていましたが、調べてみると、平成17年に公開された映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の原作漫画「三丁目の夕日」の連載が始まったのが昭和49年で、その頃は、4畳半フォークが流行っていた頃でもあり、オイルショックの影響などもあったのかも知れませんが、日本中が少し立ち止まって過去を振り返っていた時代なのかも?と想像しました。
この「夕焼横丁の人々」に登場する「夕焼横丁」という架空の横丁は、跡形もなく消滅したようです。
横丁だけでなく、そこで暮らしていた人々も皆いなくなったようです。
おそらくですが、この「夕焼横丁」は戦後復興期に建てられたバラック建築による店舗が並ぶ横丁で、そのような街並みの多くが高度経済成長期に取り壊されて再開発されたようです。
つまり、近年の昭和レトロブームや横丁ルネサンスなどを巻き起こした「懐かしいもの」への渇望と同じようなものが、この「夕焼横丁の人々」が歌われた時代にも存在したのでしょう。
だから、この曲は現代人の心にも思いっきり響くと思います。
こちらのamhikokigumoさんの動画をどうぞ。



この「夕焼横丁の人々」から4年遡った昭和47年は、真理ちゃんがアイドルとして絶頂期を迎えた頃ですが、その頃に冠番組「真理ちゃんとデイト」の中でこのような曲を歌っていました。
こちらのPAKURONさんの動画をどうぞ。



再開発賛成派と反対派に分かれているようですが、真理ちゃんはどちらかと言うと賛成派のようですね。
私の勝手なイメージですが、昭和30年代から40年代頃は、美しい景観であっても古いものを躊躇なく潰していたような気がしていました。

それでも昭和47年の時点で思い出の風景を守りたいと思う人(ここでは人形ですが)が、このような番組の中に登場しているということから考えても、そういう感情って、いつの時代にもあったということですね。


もう一曲、天地真理ちゃんの曲で、思いっきり昭和の風情に浸れる曲があります。
「夢ほのぼの」という曲ですが、この曲は真理ちゃんが病気のために芸能活動を休止する直前の1976年12月にリリースされました。
真理ちゃんは、どのような思いでこの曲を歌っていたのでしょうか・・・
感情を込め過ぎずに淡々と歌っているように思えますが、そこに真理ちゃんの人柄が滲み出ているように感じます。
この健気さとでも言うのでしょうか・・・
これは技術だけでは出せないものだと思います。
こちらの3366 Mariさんの動画をどうぞ。


さて、話をまたまた草津駅前に戻します。
再開発前に存在したお店の多くは移転されたようですが、一軒、その後が気になっていたお店がありました。
再開発前の姿はこちらです。

旧なかよし

再開発が始まってからしばらくは仮設店舗で営業されていましたが、それもいつの間にかなくなっていました。
残念ながら廃業されたのかな?


と思っていたら…


!!

新なかよし

と言うわけで次回は、このお店のことを書きます。


 
本来なら今日は、東近江市の八日市駅前で「聖徳まつり」が開催される日だと思いますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となりました。
この写真は2年前の様子です。

2018聖徳まつり

中止はまさに苦渋の決断だったと思われますが、やはり人命を第一に考えるべきだと思いますので、正しい判断だったと思います。
ちなみに昨年も運悪く台風が直撃したため中止になったので、本当に辛い状況だと思いますが、この状況を乗り越えるには、やはり耐えるしかないのですよね・・・


このように全国各地で夏のイベントが中止になっていますが、感染拡大は収まりません。
多分ですが、感染拡大の最大の原因は日常生活の中の油断だと思います。
イベントなどの場合、運営側も参加者側も感染対策をしっかり行えば、開催しても問題なかったイベントは多々あったと思います。
それでも僅かな可能性の芽を摘み取るために多くのイベントが苦渋の決断をして中止になったというのに・・・
このような状況下でも「GoToトラベルキャンペーン」は実施されています。
何だか物凄く矛盾を感じるのですが・・・


それはさておき、今年も残念ながら中止となった聖徳まつりですが、先日アップした「かざぐるま」の動画に2018年の聖徳まつりの様子を収録しています。
ほんまち商店街のアーケード内、駅前の江州音頭、花火、そして、かつて遊郭だった延命新地の夜の様子も収録しておりますので、是非ご覧ください。




ここ最近、このブログの人気記事の上位は天地真理ちゃん関連の記事が独占状態となっており、もはや天地真理ファンブログの様相を呈しておりますが、実は天地真理ちゃんとは無関係な記事の中に、地味に人気のある記事が存在します。
それは、こちらの「記憶に残る、滋賀のアキラ系ラーメン」という記事です。

http://mugenst1905.livedoor.blog/archives/17474772.html

この記事では、1990年代に閉店し、ネット上にまったく情報が存在していないお店についても触れていますので、それなりに資料的価値のある記事だと自負しております。
それにGoogleで「滋賀 アキラ系」というキーワードで検索するとかなり上位に表示されますので、ラーメン好きの方にご訪問頂いているようです。


ところで、この「記憶に残る、滋賀のアキラ系ラーメン」という記事は、近江八幡市の某所でビッグラーメンの廃墟を見つけたことをきっかけに書くことを思い立ちました。
その頃、大津市の雄琴のソープランド街の向かいに唯一生き残っていた店舗が存在したのですが、少し前に閉店となり、ビッグラーメンはついにこの地球上から完全消滅しました。

この見事なまでの正統派アキラ系のビジュアル!
このラーメンがもう食べられないと思うと寂しいです。
ラーメン

この器のロゴを見ていると切なくて涙が出てきますね。
器
  

で、ふと思ったのですが、この建物、解体せずに再利用するというのはいかがでしょうか。

ビッグラーメン外観

店内には多分ですが厨房機器も残っていると思いますので、清掃と最低限の改装を行えばラーメン店として復活できると思います。
そして、これは私の希望ですが、ここで「最強アキラ系ラーメン」を目指す人に登場してもらいたいです!!


で、これは私の案ですが、ラーメンは背油入りと無しを選択できるようにし、ネギ、モヤシも無料で増量できて、麺の硬さもリクエストできるシステム、つまり来来亭のシステムをアキラ系に取り入れるというのは如何でしょう。
メニューは醤油ラーメンと塩ラーメンの、それぞれ「並」「大盛り」「チャーシュー増量」「大盛りチャーシュー増量」にして、夏季限定で冷麺、冬季限定で味噌ラーメンを出し、サイドメニューはライス、唐揚げ、餃子、焼飯に加え、ターロー丼を出したいと思っております。
このターロー丼ですが、第一旭の本家から暖簾分けを受けた「たかばしラーメン」に以前存在していたメニューです。
現在「丼ガバチョ」というメニューが存在しており、これがもしかしたらターロー丼の現在の姿かも知れません。
ちなみに私が目指したいターロー丼は、厚切りでジューシーなチャーシューを注文を受けてからバーナーで炙って、甘辛い特製タレをかけ、もやしを炒めたものと刻みネギを一緒に盛り付けたものにしたいです。
そして、様子を見て、第一旭のチェーン店に存在する「ターロー」のアレンジ版を数量限定で出してみたいです。
つまり醤油ラーメンに甘辛タレをかけた厚切り炙りチャーシューと炒めたモヤシをトッピングしたラーメンです。
これは食べてみたい!!


えっ、そこまで考えているなら、あんたが店をやれって?


私は安全な場所で独り言を呟いているだけです。

文鳥

しかし、もし本当にこんなことが実現するなら開店前の味見役をやりに行きたいです。
ただ、私の場合、自分が好きか、そうでないかで判断することしかできませんので、ラヲタ・・・失礼、ソムリエ的な方などの意見も必要だと思います。


店名は、例えばこんなのとかいかがでしょうか。

新看板

建物が解体される前に、ぜひ実現させてほしいです。



   
気が付けば、このブログの開設から1年以上が経過しておりました。

開設当初からお越し頂いている方なら憶えて頂いているかも知れませんが、私は以前「Yahooブログ」でブログをやっておりました。
それも13年間という長期間に渡ってやっておりました。
そのブログ(以下、旧ブログ)は、更新せずに放置していても最大で1日100人以上、普通で50人くらい、少なくても30人くらいはご訪問がありました。
ちなみに開設したのは2006年の秋でしたが、当時の私は音楽活動をやっていないに等しい時期だったので、旧ブログの初期に書いていた内容と言えば、コンビニでバームクーヘンを買った話とか、電車で見かけた性格の悪いお姉さんの話とか、山奥の集落で見かけた墓地の話とか、蚊取りマットの話とか、そういう日常的なことをグダグダと書いていただけでした。
そのようなしょうもないブログだったので、当然誰の目にも触れることはなく、訪問者0名という日もありました。

翌年の2007年にはバンド活動の再開、さらにいろんなイベントやセッションにも参加するようになったので、それに伴い、音楽仲間やその周辺の人たちにもお越し頂くようになって、旧ブログもそれなりに盛り上がってきました。
しかし、その時点ではせいぜい1日20人程度でした。
やがて1日に100人くらい訪問して頂くまでに成長したのですが、そのような状況になってからご訪問頂いた方で、最も多かったのは、下記のキーワードで検索して頂いた方たちでした。


「俺たちの旅 ロケ地」


そうです。
ドラマ「俺たちの旅」のロケ地を訪れた時の記事が、私の旧ブログで一番人気のあった記事でした。
ご存知の方もおられると思いますが「俺たちの旅」は1975年~1976年に放映された中村雅俊さん主演の青春ドラマです。
「俺たちの旅」とは、どんなストーリーなのか?
 知らない方のために、私が旧ブログに書いたあらすじをそのままコピーして貼り付けます。


 「楽しくなければ人生じゃない」をモットーに、日々自由奔放に生きる大学生、津村浩介(通称カースケ)と、親から自立するために家出をした気の弱い大学生、中谷隆夫(通称オメダ)は、住む所を探しながら街を放浪していた。
 二人はたまたま立ち寄った居酒屋でカースケの小学校時代の先輩、熊沢伸六(通称グズ六)と出会う。
グズ六は上司を殴って会社をクビになった上に、恋人にも愛想を尽かされていた。
グズ六の下宿先に居候することになったカースケとオメダだが、やがて3人は、そこを追い出され「たちばな荘」で共同生活を始める。
 大学卒業後も自由奔放に生きるカースケ。どうにか再就職したものの、なかなかノルマをクリア出来ないグズ六。やっとのことで就職を決めたが、会社が倒産して路頭に迷うオメダ。
そこに東大受験を諦めた浪人生、浜田大造(通称ワカメ)も加わり、4人は「なんとかする会社」を設立し、世間の常識と戦いながら、お互いを思いやり、その日暮らしの生活を続ける。


私は中学生の頃に再放送で初めて見たのですが、意味はあまりわからなくても、このドラマから漂ってくる雰囲気が好きでした。
多分ですが、私が昭和レトロ好きになる感性を養ってくれたもののひとつが、この「俺たちの旅」だと思います。

それから随分と年月が流れ、2006年に旧ブログを始めた頃、何となく久々に見たいと思って「俺たちの旅」をDVDで改めて見た時には、かなり共感してハマってしまいました。
その流れで、1985年に放映された「俺たちの旅 十年目の再会」をDVDで見たのですが、これが何とも言えない切ない余韻が残るドラマでした。
当時、30代になったカースケは、良くも悪くも大人になり、最も堅実な生き方をしそうだったオメダが誰よりも「あの頃」を引きずっていたという設定には意表を突かれましたが、実にリアルな感じがして、大いに共感しました。
当時、青春と呼べる時代を通り過ぎていた自分の中に、まだ燻ぶっているものが僅かにあったので、この「俺たちの旅 十年目の再会」は心に沁みました。
そして、ちょうどその頃、音楽活動で東京へ行く機会があったので、カースケたちが共同生活していたアパート「たちばな荘」へ行ってまいりました。
これは、その時に撮影した写真です。

たちばな荘

さらに、それから4年後の2010年の夏にライブで東京へ行った時、井の頭公園や吉祥寺の街を散策し、ロケ地の写真を撮ってブログにアップしたところ、これが旧ブログで一番人気のある記事になったのです。
その時に撮影した井の頭公園の写真です。

井の頭噴水

たちばな荘は残念ながらドラマから40周年を迎える前に解体されました。
40年目の2015年にもう一度行くつもりをしていたので、非常に残念でした。


それから、また年月が流れ、今年は45年目です。
俺たちの旅は、10年目、20年目、30年目に単発のスペシャルドラマが制作されましたが、40年目は制作されませんでした。
もしかしたら今年、45年目があるかも?
と期待したいところですが、まったくそのような情報はありません。
もしかしたら50年目はあるかも?ですが、たちばな荘も無くなってしまい、金沢碧さん演じるヒロインの洋子さんも30年目で亡くなったので、切ないドラマになるかも知れませんね。


と言うわけで、今回は、もう帰らない懐かしい青春時代(私は再放送世代ですが)を振り返るために、こちらの主題歌の動画を貼り付けます。
それにしても、この主題歌の歌詞は1975年のシリーズよりも10年後の「俺たちの旅 十年目の再会」における登場人物たちの心境を歌っているように感じます。
もしかしたら「俺たちの旅 十年目の再会」は、この歌詞のイメージで作られたのではないでしょうか・・・


続きまして、こちらはエンディングテーマ「ただお前がいい」です。
3366mariさんの動画を貼り付けます。


「えっ?」と思われた方もおられるかとは思いますが・・・
それにしても、見事に違和感ないですね。
当時、全国の若者が発していた青春の輝きの照り返しを映すことで、天地真理ちゃんの笑顔は、誰よりも輝いていたのだと思います。


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