夢幻通り商店街

2020年09月


店名に「家」が付き、見た目も横浜家系に似ているけど、家系とは直接的には無関係で、味もかなり異なる「山岡家」というお店があります。
「直接的」にと書きましたが、実は家系と間接的な繋がりがあるのです。
家系の源流である吉村家の創業者も山岡家の創業者も実はラーメンショップ出身なのです。
なので通じる部分がいろいろとありそうです。
ホウレンソウと海苔が3枚という部分まで一致しているので、何らかの繋がりがありそうに思えてしまうのですが、スープは完全に別物です。

家系が豚骨+鶏ガラ+店によって野菜いろいろ+鶏油なのに対して、山岡家は豚骨+ラードです。
そして味は何種類かありますが基本はやはり醤油味です。
よく家系の味のことを豚骨醤油と言いますが、厳密に言えば家系は鶏豚骨醤油、あるいは鶏豚骨ベジポタとも言えるのに対して、山岡家は完全な豚骨醤油です。

ラーメンファンなら一度は味わってみたい山岡家ですが、私が住む滋賀県には存在しません。
ちなみに全国に約150店舗展開されているようですが、京都にも大阪にも存在しません。
この状況、ラーメンショップに似ていますね。
そして、嬉しいことに滋賀の隣の三重県には存在するので少し足を延ばして行ってまいりました。
山岡家の四日市采女店です。
山岡家

ちなみに山岡家は現在、三重県に2店舗あり、もう一軒は桑名市の桑名店です。

車から降りてお店に近付くと漂ってきました。
豚骨を煮込んでいる時特有のツンとくる匂いです。
本格的な博多ラーメン店などへ行くと漂ってくるあの匂いです。
お店の中にも少し匂いが漂っていましたが、この匂いによって食欲が刺激されると同時に懐かしい気分になります。
こちらが醤油ラーメンです。
山岡家醤油ラーメン

このように見た目は家系にそっくりですが、味はまったくの別物です。
こう言っては何ですが、資本系の家系チェーン店でありがちなクリーミーなスープよりもずっと好みの味でした。
まぁ別物なので比較するべきではありませんが。

そして、こちらは醤油ネギラーメンです。
山岡家ネギラーメン

ネギラーメンと言えばラーメンショップの代表メニューですが、この山岡家の醤油ネギラーメンのネギの味付けはラーメンショップにかなり近いものであり、まさに源流であるラーメンショップと山岡家の融合と言えるものです。
ラーメンショップよりも濃厚でコクのある山岡家のスープと甘辛く味付けされたネギが合わさり、相乗効果で非常に中毒性の高い味になっております。

で、話を醤油ラーメンに戻しますが、この醤油ラーメンに何も入れずに食べている時にも薄っすらと感じていたことですが、おろしにんにくと豆板醤を入れ、さらにコショウをかけて一口食べた時、私の脳裏に懐かしいラーメンの味が鮮明に蘇りました。

昔の横綱に似てる!

そう、京都の人気ラーメン店「ラーメン横綱」の昔の味に近いのです!
いつ頃からかは不明ですが、横綱のラーメンは豚骨特有のクセが無くなり、万人受けする味になったと思います。
しかし昔は・・・
まずお店の中にも外にも豚骨を煮込んでいる匂いが漂い、床は脂でベトベトで滑りやすくなっていて何度もコケそうになりました。
豚骨の臭みはほとんど感じられませんが、少しクセがあり、そのスープに卓上に置かれている「ニントン」を入れ、さらにコショーを振りかけるとかなり好みの味になりました。

山岡家のラーメンにおろしにんにくと豆板醤を入れ、コショーを振りかけると、この懐かしい昔の横綱の味を思い出させてくれる味になったのです。

山岡家はラーメンショップと並び、滋賀に出来てほしいお店です。
もし滋賀に山岡家が出来たら月に2回くらいは行くでしょうね。
 


 ここ10年ほどの間に滋賀県から次々に新進気鋭のラーメン屋さんが誕生していますが、その中で一際強い存在感を放っているのがバリバリジョニーです。
まず主力メニューは超濃厚な豚骨スープに背脂を投入したバリトンラーメンですが、他にも豊富なメニューがあり、コッテリ派の人からあっさり派の人まで楽しめるお店です。
このバリバリジョニーの本店と言えるお店は湖北町にある「麺屋ジョニー」ですが、こちらはバリバリジョニーとはメニューがかなり異なり、超濃厚な豚骨ラーメンは無く、元々は醤油ラーメンが非常に評判の高いお店として有名でした。
そして「麺屋ジョニー」は、今から10年以上前、私が初めてつけ麺が美味いと思ったお店です。
ちなみに、そのつけ麺は「こってりつけ麺」というメニューですが、これは湖北町の本店のみで食べられるメニューです。
その「麺屋ジョニー」が2011年、新たに豚骨ラーメンをメインとした「バリバリジョニー」をオープンしたという情報を得た私は、オープン5日目に訪店しました。
場所は彦根のスーパー「丸善」の建物内にあり、元々は「包王」という餃子が有名なラーメン屋さんがあった場所でした。
これがその時の写真です。
バリバリジョニー2011

その時はもちろん「バリトンラーメン」を食べました。
これが2011年のオープン5日目のバリトンラーメンです。
現在のバリトンラーメンとはちょっと見た目が違います。
バリトンラーメン2011

会計の時、オーナーの岡本さんがお客さん一人一人に感想を聞いておられたのを憶えています。
この時、岡本さんがどのような思いでお客さん一人一人の感想を求めたのかについて、私なりに「もしかしたら・・・」と思う理由があります。
これは完全な私の推測ですが、この超濃厚な豚骨ラーメンが、人によってかなり好みが別れるということが想像できる上に、当時の滋賀県内には他にないものだったので、たとえそれが他所で流行っているタイプである上に自信作であっても、それが何割くらいの客に「本気」で好まれるのか、生の声を聞きたいという思いがあったのではないでしょうか。

その頃から9年の年月が流れました。
丸善にあったお店は無くなり、現在は国道8号線沿いに彦根店が出来ています。
ちなみに、また余談ですが、この彦根店の建物は元々は石川県民のソウルフードと言われている「8番らーめん」があった場所です。
バリバリジョニー彦根

では、いよいよ本題に入りますが・・・
このバリバリジョニー彦根店には、ここだけでしか食べられないメニューがいくつかあります。
その一つに「塩ちゃんぽん」というものがあります。
メニューの写真を見ていると完全に近江ちゃんぽんであり、さらに酢を入れると美味しいという説明も書かれています。

「これは食べてみなければ!」

と言うことで注文しました。
こちらがバリバリジョニー彦根店の「塩ちゃんぽん」です。
ジョニーチャンポン

私の想像にかなり近いものでした。
つまり「近江ちゃんぽん」に、かなり近いものです。
塩チャンポンというだけあって、タレはかなり薄めです。
そして、和風だしはあまり感じませんが、代わりに魚節の粉が振りかけられているので良い香りがします。
で、やはり酢を少量入れると非常に良い塩梅になります。
野菜はかなり多めで、モヤシが多いです。
豚肉は、この日たまたまだったのか、ちょっとパサついた感じでした。
麺はおそらくバリトンラーメンと同じ中太ストレートで、やや硬めの茹で加減です。
野菜を食べている間に伸びてしまうこともなかったので、この麺はなかなか良かったと思います。
で、バリバリジョニーと言えば「替え玉無料」ですね。
今回は、単に腹いっぱい食べたいというだけではなく、もう一つ、替え玉をしてみたい理由がありました。
バリバリジョニーの替え玉は、替え玉専用の「細麺」になります。
つまり最初は中太麺や太麺でも、替え玉は細麺になるのです。
それによって非常に興味深い実験が出来ました。
「近江ちゃんぽんに細麺は合うのか?」
さらに私は替え玉を「硬め」で注文しました。
その麺を放り込んだ状態がこちらです。
チャンポン替え玉細麺

この麺は加水率はやや低めで、博多ラーメンほど細くはありませんが、一般的なラーメンの麺よりも細いです。
で、早速食べてみると・・・

これ、かなり合います!

近江ちゃんぽんと、硬めの細麺が、かなり相性が良いと感じられた瞬間でした。

ところで、私は昨年、このような記事を書きました。
このように「麺類をかべ」のチャンポンの影響によって「をかべインスパイア」とでも呼べるようなチャンポンがいくつも生み出されています。
今回のバリバリジョニーの「塩チャンポン」も、ここに加わると思います。


 前回の記事での予告通り、今回は「ちゃんぽん亭総本家」の「ごちそうちゃんぽん」と「麺類をかべ」の「令和チャンポン」を比較します。
と、言いつつ、このような記事を書こうとしている私は一体何様?という気持ちになってしまいます。

「何を偉そうに上から目線で意見してるねん!」
「そんなん言うんやったらあんたが作ってみぃ!」
「自分で作れへんのやったら偉そうなこと書かんとき!」

と言われそうですね。
しかし、やはり書くことにします。
ただ、先に書いておきますが、今回の記事を書くに当たり、実際に2つのちゃんぽんを食べ比べしたことによって、個人店とチェーン店は比較するべきではないということを痛感しました。
その理由については、またあとで述べます。

では、まず「ちゃんぽん亭 総本家」の「ごちそうちゃんぽん」です。
お値段は880円+税です。(2020年9月17日現在)
ごちそうちゃんぽん

普通の「近江ちゃんぽん」に、海老とイカが加わり、さらに味玉とベビーコーンと細切りの蒲鉾が加わり、彩りが華やかです。
多分、海老が加わることによるものだと思いますが、微かに海産物系の香りが漂ってきます。
ただ、この時たまたまだとは思いますが、ちょっと灰汁が多めに浮いていたのが気になりました。
豚肉については煮込み過ぎなのか、ややパサついた印象で、旨味が逃げている感じがします。
そして、海老なのですが、正直に言いますと、サイズがかなり小さい上に、旨味や甘み、そしてジューシーさやプリプリ感がほとんど感じられませんでした。
ごちそうちゃんぽん海老

イカは食感が良かったです。
味玉が加わるのも嬉しいですね。
ベビーコーンと蒲鉾は、楽しさは増しますが、正直、無くてもいいような印象を受けました。
そして、この「ごちそうちゃんぽん」の残念だった点は、やはり海産物が加わることでスープが格段に美味くなるという相乗効果がほとんど得られていないという点です。
微かに味や香りに変化があったものの、従来通りの近江ちゃんぽんに具材が増えたというくらいの印象に留まっていました。
まぁ十分美味しいのですが、次は普通の近江ちゃんぽんの唐揚げセットを注文すると思います。

では、一方の彦根銀座の総本山「麺類をかべ」はどうでしょうか・・・
久々にこの暖簾をくぐります。
をかべ暖簾

この「本場の味」と書かれているのを見ていると、これを思い出します。
本場の味

こちらが「麺類をかべ」の「令和チャンポン」です。
お値段は880円(税込)です。(2020年9月17日現在)
そう、お値段は、税込みなのでこちらのほうが安いのです。
令和チャンポン

写真では分かりにくいですが野菜の量は明らかにこちらの方が多いです。
そして、灰汁は全く浮いていないので丁寧な仕事をされているのがわかります。
具材は普通のチャンポンに海老、イカ、アサリ、カニカマが加わります。
まず、これはアサリによるものだと思いますが、非常に良い香りが漂ってきます。
スープを一口飲むと、従来のチャンポンよりもコクと深みと広がりが増しております!
つまり海産物が加わることによる相乗効果がしっかりと感じられるのです!
ちなみに海老は「ちゃんぽん亭 総本家」の海老の1.5倍くらいの大きさで、ジューシーでプリプリ食感です。(ピントが合っていませんでした。すみません)
令和チャンポン海老

そしてアサリがかなりたくさん入っています!
令和チャンポンあさり

このアサリの存在が非常に大きいと思います。
さらにカニカマですが、これも良いアクセントになっています。
最近のカニカマは品質が良くなっているのか、かなりカニっぽさが感じられますね。
そして、これは基本的なことですが、野菜の量も多い上にちょうどいい柔らかさで、豚肉も柔らかくて旨味があって甘みがあります。
麺が柔らかいのは好みの分かれるところだと思いますが、昔ながらの食堂の中華そばの懐かしい食感であり、私はこれが「をかべのチャンポン」の麺だと思って満足しております。
ただ、麺に関しては、あるお店で食べた「近江ちゃんぽん」的なチャンポンで面白い実験が出来たことにより、もしかしたら低加水の細麺と近江ちゃんぽんは相性が良いかも?と思ったので、それについては次回の記事で書きます。
で、このスープがご飯に合わないはずがありません。
ご飯にかけると極上の雑炊になります。
令和チャンポン雑炊

さて、このように「ちゃんぽん亭 総本家」の「ごちそうちゃんぽん」と「麺類をかべ」の「令和チャンポン」を食べ比べしてみたわけですが、これはもう文句なしに「麺類をかべ」の「令和チャンポン」のほうが美味かったです。
ここまで言ってしまうのも何ですが、比較にならないくらいです。

では、ここで最初の方で述べた「個人店とチェーン店は比較するべきではない」ということについて書きます。
まず、これは少し前に家系ラーメンについて書いた時にも思ったことですが、本格派の個人店と資本系などのチェーン店は、ある意味、同じ土俵に立っていないと言っても過言ではないと思うのです。
特に家系の場合は資本系のチェーン店になるとセントラルキッチン方式が一般的であり、中にはスープがややインスタントっぽい味だったりするお店もあります。
その点「ちゃんぽん亭 総本家」はセントラルキッチン方式ではないそうです。
なので手作りのものが食べられるわけですが、それでも規模が大きくなればなるほど、誰が作っても同じ味になるシステムがしっかりと確立されることが必要になってくるので、その結果、微妙な部分での調整が難しくなり、結果的に日によって野菜が少し固かったり豚肉の旨味が飛んでしまっていたりすることもあるのかも知れません。
それに対して、総本山の「麺類をかべ」では、熟練の店主がいつも完璧な状態のチャンポンを食べさせてくれます。
さらに、今回の比較では、単に調理の技術だけではなく、具材に関しても「麺類をかべ」のほうが遥かに上でした。
そして「令和チャンポン」は、言ってみれば完全な「足し算」のチャンポンであり、本来「をかべのチャンポン」のような完成されたものに足し算で具材を加えると、ややバランスの悪いものになる恐れもありますが「令和チャンポン」は完璧なバランスでした。
これだけ多くの具材が加わっても、スープは足した具材の分だけ美味しくなった上に「丁度良い塩梅」でした。
出汁の旨味と風味、タレの甘みと野菜から滲み出す甘み、豚肉から出る旨味と豚肉そのものの味、それらのバランスが少しでも悪いとこの味にはなり得ないのです。
近いものを作るためには確立されたレシピがあれば可能だと思いますが、本物は確かな味覚が無ければ作れません。
だから今回のような比較をした場合、このような結果になってしまうのは、当然のことだったと言えます。
しかし、私はチェーン店の存在は否定しません。
確かに美味いのは本格派の個人店ですが、国道沿いなどに点在する大型駐車場を完備したチェーン店も無かったら困るありがたい存在なのです。
私もそこそこラーメンには舌が肥えていますが、それでも仕事帰りなどは便利な場所にあるお店を利用します。
これは近江ちゃんぽんにも言えることであり、仕事帰りなどに立ち寄るのは、やはりチェーン店の「ちゃんぽん亭 総本家」になり、ちゃんぽんを食べることを目的に出かけるなら「麺類をかべ」や、同じく彦根の「ラーメン本気」などになります。

そして、今回、このように比較をしたことで、改めて「麺類をかべ」の本物の味が末永く生き続けてほしいと思いました。
この、銀座の「麺類をかべ」が無くなってしまったら、私は「近江ちゃんぽん」が「柱」を無くすことになるような気がします。

さて、次回は他のお店で食べた近江ちゃんぽん的なちゃんぽんのことを書きます。
そのお店とは、主力メニューが超濃厚豚骨ラーメンで「替え玉無料」が非常に嬉しいお店「バリバリジョニー」の彦根店です。
この彦根店のみのメニューで「塩ちゃんぽん」というものがあるのですが、これが、ほぼ「近江ちゃんぽん」なのです。

では、続きは次回・・・


久々に近江ちゃんぽんについて書きます。
どれくらい久々かと思って過去記事を振り返ってみると、昨年の7月以来です。
1年以上の月日が流れた間に、このブログにも大勢の新たなお客様にお越し頂いているので、改めて「近江ちゃんぽん」の概要を書いておきます。
ちゃんぽんと名乗っていますが、材料も製法も長崎ちゃんぽんとは別物であり、いわゆるご当地ちゃんぽんの一種です。
近江ちゃんぽんは、鰹と昆布の和出汁+鶏ガラに醤油タレを合わせたスープに、豚肉、大量の野菜、昔ながらの中華麺を入れて煮込んで作る麺料理です。
あっさりしたスープに豚肉と野菜を入れて煮込むことにより、寄せ鍋のようなまろやかな味になります。
この「近江ちゃんぽん」という名称の発祥店は「ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店」ということになります。
しかし「近江ちゃんぽん」が、まだ「近江ちゃんぽん」と呼ばれるずっと前、昭和38年に、そのチャンポンを生み出したのは彦根の銀座商店街の裏通りにひっそりと佇んでいた食堂「麺類をかべ」でした。
こちらが2008年に撮影した麺類をかべの旧店舗です。
これこそが、まさに「近江ちゃんぽん」の総本山と言える場所だったのです。
をかべ旧店舗

残念ながら旧店舗は2012年に閉店となり、建物も解体されましたが、現在は銀座商店街の表通りの新店舗で営業されています。
をかべ新店舗

さて、あまり適当なことを書くわけにはいきませんが「近江ちゃんぽん」の、現在に至るまでの流れをざっくり書くと下記のような感じだと思います。

昭和38年、銀座商店街の裏通りで「麺類をかべ本店」創業。
和風だしのチャンポンが大人気となる。
 ↓
いつ頃か不明だが遅くとも昭和61年までに「麺類をかべ2号店」が彦根駅前にオープン。
 ↓
昭和61年「麺類をかべ2号店」の経営を引き継いだ山本一氏(現ドリームフーズ会長)が「有限会社山本」設立。
 ↓
平成8年「ちゃんぽん亭株式会社」を設立し、主に滋賀県内でチェーン展開。
 ↓
平成17年、社名を「ドリームフーズ株式会社」変更し、全国的にチェーン展開。
 ↓
平成26年 ドリームフーズは「近江ちゃんぽん」の商標登録に成功。


この流れを見ていると一つの謎に気付きました。
昭和61年に山本一氏が「麺類をかべ」の2号店の経営を引き継いだわけですが、この2号店と銀座の裏通りの1号店との関係はどのようなものだったのでしょうか?
まず、1号店と2号店がそれぞれ独立したお店だったからこそ、このような流れが可能だったのだと言えます。
つまり、普通に推測すると、2号店は1号店から暖簾分けを受け、完全に独立したお店として生まれたということです。
そして、2号店の経営を受け継いだ山本一氏は優れた経営能力の持ち主だったので「をかべのチャンポン」を「近江ちゃんぽん」というブランド名で全国に広めました。
以前の記事にも書きましたが、この流れは京都の第一旭に似ています。
第一旭は暖簾分けを受けて開店した寺田店の経営者が本家とは無関係に法人化して第一旭をチェーン展開して世間に広めました。
ドリームフーズは「近江ちゃんぽん」を世間に広め、2016年には商標登録に成功したわけですが、それによって、非常にややこしいことがおこっています。
そのチャンポンの発祥店であり、総本山と言える「麺類をかべ」が「近江ちゃんぽん」を名乗れない状況にあるのです。
ちなみに「麺類をかべ」は「近江ちゃんぽん」ではなく「彦根チャンポン」と名乗っておられます。
そして、ドリームフーズの「ちゃんぽん亭総本家」の公式サイトの「歴史と沿革」を見ていると「昭和三十八年に彦根で開業した「麺類をかべ」という小さな町の食堂から始まりました。」と書かれていますが、彦根のどことは書かれていないので、彦根駅前の「ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店」つまり、かつての「麺類をかべ2号店」が、昭和38年創業のお店だと誤解される方がおられるようです。
ちなみに私の会社のかつての同僚がそのように誤解していました。
このような状況になっている事情については、あまり推測で適当なことを書くわけにはいきませんが、少なくとも外側から見ている限りでは、発祥店である銀座の麺類をかべが、まるで存在していないかのような扱いを受けているように見えてしまうのです。
これは内情を知らない者による誤解かも知れません。
しかし、どんな内情があったとしても、それは知る由もないので、あくまで外側から見ているとそのような印象を受けてしまうのです。

ところで、私は基本的に興味を持った対象の「ルーツ」を知りたがる人間です。
だからラーメンに関しても、いろんなジャンルのルーツとなったお店について調べてきました。
日本のラーメンの原点である浅草の中華そばの「来々軒」札幌ラーメンの「味の三平」背脂チャッチャ系の「ホープ軒本舗」つけ麺の「大勝軒」横浜家系の「吉村家」二郎系の「ラーメン二郎 三田本店」喜多方ラーメンの「坂内食堂」アキラ系の「第一旭」ジャンルと言うより一つのお店ですが天下一品の北白川の「総本店」などなど・・・
他にもいろいろありますが、どんなジャンルでも原点となったお店は「総本山」と呼ばれたりしてリスペクトされています。
しかし「近江ちゃんぽん」の総本山と言える「麺類をかべ」は、総本山と呼ばれるどころか、その存在さえ無いもののように扱われています。
もしかしたら複雑な事情があるのかも知れません。
しかし、外側の人間からは、そのようにしか見えないのです。
このような状況になっているラーメンのジャンルは「近江ちゃんぽん」くらいのものではないでしょうか?

さて、先日久々に「麺類をかべ」の情報を見ていると、新メニューとして「令和チャンポン」というものが登場していました。
内容的には従来のチャンポンに海老、イカ、アサリなどの海産物が加わるようです。
チャンポンはもちろん具とスープを一緒に煮込むので海産物の出汁が元々のチャンポンの和テイストのスープと合わさるはずです。
これは期待できそうです!
ということで、日曜は久々に「麺類をかべ」へと思ったのですが・・・
ちょっと気になって「ちゃんぽん亭総本家」の公式サイトを見てみると、新メニューとして「 ごちそうちゃんぽん」というものがあり、これが海産物入りちゃんぽんなのです。
レビューの投稿時期などから判断すると「麺類をかべ」の「令和チャンポン」のほうが先発で、昨年からメニューに加わっているようです。
ちなみに「ちゃんぽん亭総本家」の「ごちそうちゃんぽん」は今年に入ってからメニューに加わったようです。
これはもう、食べ比べるしかないでしょう!
と言うことで、まずは仕事帰りに寄りやすい「ちゃんぽん亭総本家」の直営の某店に立ち寄り「ごちそうちゃんぽん」を注文しました。

続きは次回の記事で・・・



 


今年は9月に入っても猛烈に暑い日が続いておりましたが、ようやく過ごしやすい気温になってきましたね。
とは言え、昼間は30度を上回っています。
もしかしたら私が幼かった頃の夏は今くらいの暑さだったのでしょうか。
このような穏やかな暑さの中で子供の頃に見た景色などを思い出すと、懐かしくて優しい気分になります。

もう、随分前のことですが、そのような懐かしくて優しい気分に浸りながら曲を作りました。
その曲のタイトルは「ここにいるから」です。

この「ここにいるから」は、私が以前やっていたバンドWater Gardenのオリジナル曲であり、1995年の夏、当時のアマチュア向け機材での自主制作とは言え、スタジオ録音してカセットテープを50本くらい作って無料配布し、その翌年には大津市の某CD屋さんに置いて頂くために制作したミニアルバムにも収録し、さらには滋賀県文化財保護協会の設立25周年に制作された歴史紀行ビデオ作品のエンディングテーマとして使用して頂いたことで、延べ何百人もの方に聴いて頂いた曲です。
正直、私にとって、かなり思い入れのある曲です。

その頃から実に25年もの月日が流れました。
で、最近になって、ふと「ここにいるから」をWGP feat.初音ミクで、もう一度、形にしてみたいと思い立ちました。
そして、盆休み後半から制作を開始したのですが・・・


私が今から書くことは、本来なら自作の曲に対して書いてはいけないことだと思います。
しかし、今回は記事のタイトル通り、思いを包み隠さず書きます。


この曲に手を付け始めても、なかなか「やる気」が持続しませんでした。


もちろん一旦やる気が湧いて作業を開始するのですが、数分間作業すると怠くなってきて手が止まり、溜息が出てしまうのです。
なぜなのか?
自分でもよくわかっています。
25年も前に作って、その後の活動で「結果」が出ていると言える曲だからです。
このような「結果」が出てしまっている曲に時間を費やすくらいなら、新曲に取り掛かる方が遥かに有意義なのではないか?という思いが何度も頭を過りました。

「ここにいるから」は、前述したとおり、スタジオ録音して無料配布したり歴史紀行ビデオ作品のエンディングテーマとして使用して頂くなど、他のオリジナル曲よりも大勢の方に聴いて頂いた曲です。
ライブでは2001年に一旦バンドが解散するまでは、毎回欠かさず演奏しました。
決して冷遇した曲ではなく、当時なりに頑張ってアピールした曲だったのです。

ところで、1995年に無料配布したカセットテープにはアンケート葉書を同梱しましたが、何通かお返事を頂いた中に非常に印象的なご感想がありました。


「以前の曲からは可能性を感じたが、今回は可能性を感じなかった」


これは、何と言いましょうか・・・
とにかく、そのような印象を与えたということを真摯に受け止めるしかないと思いました。

2009年以降の新体制での活動では「ここにいるから」を演奏する機会をかなり減らしました。
それでも、ここぞというライブではバンドの重要な曲であるということを伝えた上で演奏しましたが、やはり何一つご感想を頂くことはありませんでした。

自分で言うのも何ですが、悪い曲だとは思いません。
むしろ良い曲だと思っております。
しかし、長年に渡り、それなりにアピールしてきたにもかかわらず空気のような存在にしかなり得ませんでした。
つまり、先述した25年前のアンケート葉書に頂いた「可能性を感じなかった」というご感想が、実に的確なものであったということが証明されているのです。
そのような曲に改めて手を付けたところで時間の無駄になるだけではないのか?
このような思いが何度も頭の中を過りました。


何度も言いますが、このようなことは思っていても書くべきことではないと思っております。
本心ではそう思っていても、それを包み隠して自信のあるふりをするべきです。
そうでなければ聴いて頂く人に失礼だと思います。
しかし、言い訳をさせて頂くなら、この曲は何度も言うように「25年も前」に作った曲です。
作ったばかりの新曲ならこんなことは絶対に書きません。
て言うか、私は今のように個人及び阿刀 弘史との「WGP feat.初音ミク」という名義で作品作りをするようになってからは一切の妥協はしておりません。
それなら「ここにいるから」も、メロディ、コード進行、歌詞などを納得いくまで作り直してから出せば?と言われそうですね。
しかし、自分では現状のままで納得しており、直したいとは思いません。
問題は、この曲が25年に渡り、ほとんど空気のような存在だったということです。


しかし・・・
それでも、この曲をもう一度、世間に向けて出してみたいという思いが湧き上がってしまう理由が二つあります。
まず一つ目ですが、1995年に無料配布したテープに同梱したアンケート葉書に、ある方から「涙がこぼれました」という感想をいただきました。
その方とは面識がありません。
どこの誰だか知らない方です。
しかし、このような感想を頂けたことが大きな力になりました。
そして二つ目は、1997年の八日市文化芸術会館でのライブの時、この曲の演奏前にボーカリストがタイトルをコールしたところ、一部のお客様から拍手を頂きました。
このようなことは、後にも先にもこの時だけです。
たった二つの出来事とは言え、思い出すと力が漲ってきます。
結局のところ、曲が完成に近付くに連れて私の中に「やる気」が、じわじわと湧き上がってきて、何とか新音源を完成させました。
編曲については、当初のバージョンはアコースティックギターとシンセに軽い打ち込みパーカッションでしたが、今回は後のライブにおけるバンド演奏バージョンを基に編曲しました。
歌詞、メロディ、コード進行は当時のままです。

ちなみに動画は滋賀県蒲生郡日野町で撮影しました。
主な撮影場所はまず谷出山隧道とその周辺。
谷出山隧道とお地蔵さん

NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」やテレビ朝日系列戦後70年ドラマスペシャル「妻と飛んだ特攻兵」そして、アニメ「中二病でも恋がしたい!」の主人公たちが通う学校のモデルとなり、最近ではNHK連続テレビ小説「スカーレット」のロケ地にもなった旧鎌掛小学校。
旧鎌掛小学校

ブルーメの丘附近の田園風景
日野田園風景

そして近江鉄道日野駅です。
日野駅

何度も言うように、もう25年も前の曲であり、既に「結果」が出ているような曲です。
そして25年も前に、ある方からは「可能性を感じない」と言われ、ある方からは「涙がこぼれました」と言って頂いた曲です。
こうしてYouTubeにアップすることで、この曲はどんな道を歩むでしょうか・・・
それは何とも分かりません。
ただ、願わくば、どれくらい先になるか分かりませんが、この曲を決して自己満足のためでなく、ほんとうに聴いて頂く人たちの心に届いているということを実感しながらライブで演奏できる日が訪れることを願っています。

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