夢幻通り商店街

カテゴリ: 音楽と動画


早いもので、もうすぐ2月が終わろうとしています。
この早さ、どうなってるんでしょうか・・・

2月が終われば3月・・・

春ですねぇ・・・

しかし、まだしばらくは寒い日が続くでしょうね。

こんな寒い時期は、やはりラーメンと天地真理ちゃんですね!
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真理ちゃんの笑顔を見たり歌声を聴いたりしていると心が温かくなりますね。
とは言え、真理ちゃんの曲も明るい曲ばかりではありません。
悲しい曲、切ない曲もあります。

本日ご紹介する「風花のさよなら」という曲も切ない曲です。

それにしてもこの曲、あくまで個人的にですが、物凄く「当時の空気」が感じられるのです。
当時とは、この曲が収録されたアルバム「童話作家」がリリースされた1976年頃のことです。
その頃、私はまだ幼い子でしたが、微かに「当時の空気」や景色を憶えています。
その空気や景色が、この曲を聴くことで鮮烈に蘇ってくるのです。
この曲を初めて聴いたのは3年ほど前だったと思いますが、初めて食べるのに懐かしさで胸がいっぱいになるラーメンを食べたような気分になりました。
ラーメン

ちなみに歌詞は真理ちゃんの出世作となったドラマ「時間ですよ」の演出、プロデューサーを務めた久世光彦さんが作詞家としてのペンネーム小谷夏という名義で書かれ、曲は佐瀬寿一さんによるものです。
佐瀬寿一さんと言えば代表曲は「およげ!たいやきくん」ということになるでしょうか。
その他にもお子様向け番組の挿入歌等をたくさん作曲されておりますが、その雰囲気が「風花のさよなら」にも漂っているような気がします。
歌メロ全体に漂うノスタルジックな雰囲気は佐瀬寿一さんならではかも知れません。
特にAメロは、この曲から10年以上後に生まれた「癒し系」というフォーマットに通じるものがあるような気がします。
この佐瀬寿一さんによるノスタルジックなメロディが当時の空気を伝えてくれるのでしょうか?
いや、それだけではありません。
イントロをはじめとする編曲にも、この曲から当時の空気が漂ってくる大きな要因が存在すると思います。
この曲のイントロはかなり大人っぽいと言うか、コード進行などは当時としてはかなり新しいタイプだと思います。
とは言っても洋楽テイストを取り入れたシティ・ポップ的な雰囲気ではなく、和製フォークから進化したニューミュージックならではの雰囲気を感じます。
この雰囲気は、やはり編曲家の船山基紀さんのセンスによって醸し出されたと言えるでしょう。
船山基紀さんは膨大な数の歌謡曲の編曲をされていますが、編曲家としてのデビュー作が1975年の中島みゆきさんのデビュー曲「アザミ嬢のララバイ」です。
この時期に生まれた曲の中にはフォークとニューミュージックが融合する過渡期ならではの雰囲気を持った曲が多く存在し、この雰囲気こそが、私が感じる「当時の空気」なのだと確信しています。
この「風花のさよなら」は、そのような編曲に加え、ノスタルジックなメロディもあるので、個人的にに幼い頃の景色や空気を思い出せる曲として、どストライクでした。
そして、こう言っては何ですが、この曲は2時間サスペンスドラマの主題歌になっても、アニメのエンディングテーマになってもヒットしたのではないでしょうか。
今からでも多くの方に聴いて頂きたい曲です。

で、この曲は本来、原曲をそのまま聴いていただくべきだと思うのですが・・・

久々に作ってしまいました。

この曲の真理ちゃんの健気で温かい歌声を聴いているうちに抱きしめたい・・・じゃなくて、アレンジして共演している気分を味わいたい衝動を抑えられなくなったのです。
今回もタイトルはいつもどおり「真理ちゃんと、ヘビーメタル」ですが、今回はメタル色はかなり控えめで、完全に私の趣味に走っております。
ちなみに間奏のスキャットではAI謡子を使用しました。
 


 2月10日に予告したとおり、最新曲をアップしました!
タイトルは「夢幻夜行列車」です。

思えばここしばらく過去曲のリメイクばかりやっていたので、完全な新曲としては昨年の6月にアップした「蒼い花」以来です。
今回も作詞は阿刀弘史ですが、実は今回は作詞先行で曲を作りました。
つまり、阿刀弘史から歌詞をもらって私が曲を作るという流れで作ったのです。
この方法は非常に楽しかったですね。
歌詞からメロディやアレンジが次々に閃きました。

今回は少年と言うか、若者目線の歌詞です。
思えば今までの作品はある程度大人になった人が若い頃や幼い頃を振り返るというものが多かったですが、今回は完全に若者目線の歌詞です。
歌詞の内容については聴いて頂いた方の解釈に委ねたいと思っております。
と言うか、私は今回の歌詞は聴き手の数だけ正解があると思っております。
ただ・・・
たまたまこの文章を読んで頂いている10代~20代の若い方がおられましたら、これだけは伝えておきたいです。

若いということは、無限の可能性を持っているということです。
だからこそ、限られた時間を大切にしてほしい。

で、今回は、何とあの東北きりたんさんに歌って頂きました。
彼女の声は、この曲のイメージにピッタリでした!

さらに、今回はPixabayの商用利用も可能な著作権フリー動画をいろいろ使用させていただきました。
それにしても本当に、凄い時代になりましたね・・・





突然ですが、今後の予定を書きます。

まず、実は昨年から計画し始めていたことなのですが、3月中を目標に新しいブログを立ち上げる予定です!
そのブログでは私の音楽活動のことを中心に書く予定です。
内容的にはDTMのこと、そして過去のバンド活動で学んだことなども書きます。
特にバンド活動に関しては私なりに考えるチームワークとチームプレイの違いなど、バンドにおける人間関係のことなども書く予定です。

そして、最近到来したと言われる「風の時代」の影響もあり、いろいろと考えたことがありますので、人生観や人間関係のことなども書くつもりです。

で、このブログでは、ここしばらくグルメレポート的な記事ばかり書いておりましたが、この先はグルメレポート(ほとんどラーメン)や商店街、レトロネタ、そして天地真理ちゃんのことなどを書くブログとして継続していく予定です。

とは言え、新ブログを開設するまでの間は音楽活動についてもこちらでお知らせすることになります。

と言うわけで、お知らせですが・・・


明日2月11日の深夜、正確には2月12日に日付が変わってすぐを目標に、最新曲の動画をYouTubeにアップする予定です!
今回は過去曲のリメイクではなく、完全な新曲で、作詞はもちろん阿刀弘史です。
で、ボーカルなのですが、何と、あの東北きりたんさんに歌って頂きました!
では、またYouTubeにアップしたらお知らせ致します!
 


 滋賀県で最も神秘的な場所と言えば、個人的にはやはり余呉湖です。
ご存じの方もおられるかと思いますが、琵琶湖の最北端から、さらに山を一つ越えた所にある小さな湖です。
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琵琶湖の周辺には、琵琶湖と川などで繋がっている「内湖」がいくつかありますが、余呉湖は元々は琵琶湖とは繋がっていない独立した湖でした。
その澄み切った湖面は穏やかで、いにしえより「鏡湖」とも呼ばれていました。

しかし、いつしか人々の生活のために利用されるようになり、やがては氾濫を防ぐために琵琶湖への放水路も作られました。
高度経済成長期には生活排水も流されるようになり、琵琶湖と同じく赤潮が発生するようになったそうです。
その後、様々な対策によって、本来の美しさをかなり取り戻したようですが、最近では外来魚が問題になっているようです。

私は時々思うのですが、心の豊かさというものは、やはりある程度の「ゆとり」というものが無いと生まれてこないのでしょうか?
余呉湖に美しさや神秘性を感じるには、ある程度「ゆとり」が必要になると思います。
では、物質的に満たされて、時間的な余裕も得られたら、美しい風景に感動する感性が養われてくるのでしょうか?
私は単純にそうだとは思えません。
お金持ちで時間にも余裕があり、ブランド品を身に付け、高級車に乗り、年に数回いろんな国へ海外旅行へ行っている人でも、そのような感性が養われない人もいるでしょう。
その一方で、日々の生活に追われ、毎日疲れ果てても、夜眠りに就く前のほんの数分の読書だけで無限に感性を磨ける人もいるでしょう。
このような個人差は、もちろん人それぞれの人生経験によって出てくるもののような気がしますが、先天的なものだとも考えられます。

ところで、西洋占星術の話によりますと、昨年の12月22日、世の中は200年続いた「土の時代」から「風の時代」に移り変わったそうです。
ちなみに「土の時代」は人々が物質的に満たされることを求めた時代だったのに対して「風の時代」は心の豊かさを求める時代になるようです。
これは言い換えると、物質的に満たされても、それが心の満足に繋がるわけではないということに人々が気付く時代になるということだと思うのです。
この件については私も非常に興味が湧いたので、ネット上のいくつかの記事に目を通しましたが、私なりの解釈も含めて、また改めて書こうと思っております。

話が少し脱線気味になりましたが、余呉湖は人によっては生活の場であり、人によっては美しい風景です。
何が正しいとは言えませんが、一つ言えるのは、この湖は人の心を映す「鏡」だということです。
「鏡湖」と呼ばれる理由は、そこにもあるのではないでしょうか。

ところで、この余呉湖は「羽衣伝説」が有名です。
天女に恋心を抱いた男が天女の羽衣を盗んで天に帰れないようにして、やがて結婚し・・・という有名な伝説で、余呉湖以外のいくつかの湖にも同様の伝説がありますが、この伝説は余呉湖が元祖だと言われており、奈良時代にはこの伝説が語られていたそうです。
そして、天女が羽衣を掛けた衣掛柳と呼ばれるマルバヤナギの木があったのですが…
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実は数年前に台風で倒れ、残念ながら切断されました。
しかし・・・
このように切断された幹から、また枝が伸びています。
生命の神秘と力強さを感じ、心を打たれました。
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パワーをもらおうと思い、幹に触れてきました。
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ここは、私にとって新たなパワースポットになりました。
またパワーが欲しくなったら訪れるつもりです。

では、1月4日に余呉湖で撮影した動画を編集しましたので貼り付けます。
今回のBGMは私が25歳の頃に作った「白い朝の記憶」という曲です。
当初はピアノと薄っすらとしたシンセのみの編曲でしたが、今回はストリングスやオーボエ、さらにケルティックな女性ボーカルCeltiaさんの声も使用させて頂きました。
冬の滋賀県北部をイメージして作った曲ですが、この曲は改めて聴いてみると琵琶湖よりも余呉湖のほうが似合うような気がしました。




あけましておめでとうございます。
この記事は大晦日のうちにアップすることを目指していたのですが、日付が変わってしまい、新年に突入してしまいました。

昨年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、私たちの生活も大いに混乱しました。
この混乱はまだまだ続きそうですが、このような状況の中でこそ、人の人間性が垣間見えたりします。
まぁ、それについては後の方で書くとして、まずはタイトル通り「運命」と「宿命」について思うことを書きます。
まず「運命」とは過去の結果であり、行動や心がけ次第でどんどん良い方向に変えていけるはずなのです。
それに対して、先祖代々の「業」など、生まれる前から背負ってきて、変えることの出来ないものを「宿命」と言います。
そう考えると「宿命」って、ちょっとオカルト的であり、現実的に考えると根拠が無さそうな気がしますが、考えようによっては「遺伝子」に組み込まれている情報は、まさに「宿命」と言えるのではないでしょうか。
では私は、どんな宿命を背負って生まれてきたのでしょう?
先述した通り「宿命」とは先祖代々、そして最も強い影響は両親から受けると思います。
また、遺伝子で考えると「隔世遺伝」とも言われるように祖父母の存在が大きく関わっているような気がします。
もし私が宿命に一切逆らわずに生きてこれたら・・・
つまり、流れに逆らわず、必要以上の欲も持たず、両親の期待にもある程度応えながら生きてこれたら、私はそこそこ平均的な人生を歩めたかも知れません。
しかし、やはりそのような人生は、残念ながら考えられません。
両親はもちろん、祖父母、そして親戚を見渡しても私はかなり特殊な人間です。
まず「音楽」をやっているという時点で突然変異種です。
そして、私には、やはり「音楽」と関わらない人生など考えられないのです。
長年、生活のために続けている仕事が「宿命」に逆らわずにやっているものだとしたら、私にとって音楽は「運命」を切り開くためにやってきたものです。
そして、私の人生を振り返ってみると「運命」と「宿命」が激しくバトルした時期が数回ありました。
不思議なもので、音楽活動が充実しそうになると、仕事がとんでもなく忙しくなり、単に時間を奪われるだけでなく精神的に音楽に集中できない状況に追い込まれるのです。
では実際に起こった出来事を振り返ってみましょう。
まずは1990年代の初頭、私にとって初めてのバンドらしいバンドであり、当時はプロを目指すつもりで取り組んでいたバンドでの初ライブの3か月前くらいから仕事が忙しくなり始め、ライブの直前まで1か月以上休み無しになり、夜は毎晩日付が変わるまで残業で、リハも満足に出来ない状況に追い込まれました。
次は1990年代中頃、私のリーダーバンドでの初のライブの直前も約2か月休み無しになり、夜は毎晩日付が変わるまで残業という状況が続きました。
それ以降も大事なライブの直前に仕事の忙しい時期が重なるということは度々ありましたが、この時ばかりは「運命の悪戯か?」と思ったのが2012年から2013年の出来事です。
これは正しくは「宿命の悪戯」と言うべきかも知れません。
まず、少し遡って2011年は、非常に充実したライブ活動が出来たにも関わらず、そのライブに向けて気持ちを高めていく余裕の無い日々が続いておりました。
相変わらずライブの直前まで連日の残業に休日出勤というパターンにはまっておりました。
しかし2012年になると、何となく自分を取り巻く状況が変わり、目の前が開け、一段上のステージに上がろうとしているような気配を感じたのです。
その予感は2012年の秋にはっきりと姿を現しました。
フランスの某レーベルからCDをリリースするというオファーがあったのです。
このレーベルからは日本のプログレ界の大御所の方たちもCDをリリースされているので、そういった人々と形の上だけでも肩を並べさせてもらえるという喜びがありました。
ただし、マスター音源を完成させるまでの締め切りがあり、オファーから約半年という納期を決められました。
普通に音楽中心の生活をしていたら可能な納期でしたが、仕事と両立するにはかなり厳しい納期でした。
しかし、このようなチャンスを捨てたくないと思い、挑むことにしました。
そして、その直後からでした。
このレコーディング期間に合わせるように残業及び休日出勤必至の仕事を命じられたのです。
まず最初に命じられた仕事は金銭的に折り合いが付かなかったので流れました。
こんなことを言っては何ですが、ラッキーだと思いました。
そう思って安心していたら次は県の工事で、真冬の滋賀県北部の、主に山奥での仕事を命じられました。
県の仕事なので日曜は休めるだろうという安心感はありましたが、真冬の滋賀県北部での作業はまさに命がけでした。
朝は5時頃に家を出て、現地の雪の状態を確認して、必要なら除雪車を手配し、2mほどの雪が積もった山奥へ行って作業し、夜には会社へ帰って書類を作成して家には10時半頃に帰るという日々が約3か月続きました。
途中でタイミングが悪ければ雪崩に巻き込まれそうになったり、吹雪の中での作業中にテントが飛んでいった時には、八甲田山の北大路欣也さんになった気分でした。
そのような仕事の合間の日曜日を利用してレコーディングをしました。
人生の中で最も音楽に集中したい時期でしたが、どの程度集中出来ていたでしょうか?
こう言っては何ですが、この頃の自分の気持ちが思い出せません。
とにかくこんな状況でレコーディング出来ていたのが、ただただ不思議です。
さらにその翌年には連続出勤期間こそ1か月弱でしたが内容のキツさでは過去最凶レベルの仕事を任され、深夜に現場の駐車場で倒れました。
ただ、その時、幸いにもクッションになるものがある場所に倒れたので、怪我はしませんでした。
「あぁ、私はまだ生かされるんやなぁ」と思いました。
このようなことを書くと「仕事を辞めれば良かったのでは?」と言う方もおられるでしょう。
まったくその通りです。
しかし、私にはそのような思い切った行動をする勇気がありませんでした。
だから何事も中途半端でした。
ただ、なぜこのように音楽活動の充実期に仕事の繁忙期が重なってくるのでしょうか?
これを今、振り返ってみると、やはり「運命」と「宿命」がバトルを繰り広げているということだとしか思えません。
つまり、私が運命を切り開こうとすると宿命が邪魔をするのです。
そんな宿命なら捨ててしまえ!と言いたいところですが・・・
一つ、はっきり言えることは、もし私がバンド活動の充実期に仕事を捨てていたら、かなり高い確率で私は現在、この世にいなかったと思います。
結局、2017年に宿命に逆らわずにバンド活動を辞めましたが、その後は、いろんな膿を出すことが出来たと思います。
で、気が付けば体もボロボロになっており、自分でも気づいていないうちに心筋梗塞になっていたらしく、生きているのが不思議な状態だったそうです。
2017年にバンド活動を辞めて「宿命」に逆らわずに過ごしているうちに、2018の後半からは「運命」も好転してきたような気がしてきました。
やむを得ない事情とは言え、以前より時間的にも精神的にも余裕が出来たことで個人的な作曲活動や動画制作に力を入れることが出来ました。
地味な活動ではありますが、自分としては以前よりもクリエイティブな活動が出来ている気がしておりました。
このまま細々と穏やかに・・・
2019年の秋まではそのように思っていました。
しかし、2019年の秋に東京を訪れた時に気持ちが変わりました。
シンプルに「もっと楽しみたい!」と思ったのです。
以前のような高い目標を持つつもりはないけれど、もう一度ステージでライトを浴びて演奏したい!
それが実現したら東京で私にこのような気持ちにさせてくれた人に感謝して、元気な自分を見せたい!
そのように思いました。
それ以降は「復活」に向けての準備がスタートしました。
まず私に「復活」の望みがあるのか?これが問題でした。
その答えが出るのが2020年の6月でした。
もし、ここで復活の可能性が消えたら私は力を落とし、生きる意欲を失くすと思いました。
なので、結果が出る前に、何とかして完成させたいと思って作ったのが最新曲の「蒼い花」でした。
この曲には自分自身が復活したいという想いを込めました。
そして、もう一つ、天地真理ちゃんの「恋する夏の日」のメタルバージョンです。
自分自身にエネルギーが無くなったら真理ちゃんを応援する気力も失ってしまうかも知れません。
だから気力のあるうちに、真理ちゃんに若返ってもらいたいという想いを込めて作りました。
で、結果的に私に「復活」の望みはあるということになりました。
時間はかかりそうですが、日々大切に過ごし、運が良ければ2年くらいで復活できるかも?です。
ただ、ここから先は、本当に運だと思っています。
自分にその運があるのかが試されているのだと思っています。
先述した通り、私が前向きになったのは2019年の秋に東京を訪れた時でした。
以前のように高い志を持っているわけではありませんが「楽しみたい」というシンプルな気持ちが「復活したい」という思いに繋がったのですから、やはり人間にとって「楽しみたい」という気持ちがいかに大きな力になるのかということを身を以て実感しました。
ただ、この「楽しみたい」という気持ちによって復活を目指すということは、おそらく宿命に逆らう行動になるでしょう。
しかし、やはり「楽しみたい」という気持ちがあるからこそ人間は頑張れるのであり、それは人間にとって極めて根本的なことであり、それに気付くきっかけを東京で得られたということは、やはり私は何か強い力に導かれているのではないか?と思えたのです。
2020年の6月に「復活」の可能性を得られてからは、そのようなことを信じながら、かなりエネルギッシュに過ごしてきました。
ところが・・・

ここへきて、根本的に考え方を改めなければいけないような気持ちになってきました。
先述した通り、私は「楽しみたい」というシンプルな気持ちを原動力にして運命を切り開こうと思ったわけです。
つまり、再び人生を謳歌するために復活を目指したわけですが・・・
私はもしかしたら「宿命」のために復活させられるのではないか?
そのように思えてきたのです。
復活させられる・・・
つまり2019年の東京から現在まで、実は「宿命」の力に流されてきたような気がしてきたのです。
宿命の力とは・・・
「守護霊」というものが誰にでも存在すると言いますが、私は、ここ最近、この「守護霊」の存在を感じることが多いのです。
実は先月、思いがけない出来事がありました。
詳しくは書きませんが、私にとって「宿命」に負けず「運命」を切り開いて生きていく上での大きな心の支えを失いました。
この時、私は長い間見ていた夢が一気に覚めて、現実に引き戻された気がしました。
しかし、どういう訳か、その時、私は目の前の出来事に「逆らわない」ということを強く意識したのです。
本当は逆らいたかったのです。
将来のことも考え、自分の中で、いろいろと決意が固まりつつあった矢先のことでした。
なぜこのタイミングで?
衝撃的かつ不思議な展開でしたが、私がこの展開に「逆らわない」ということを意識して過ごすうちに、些細なラッキーが続くようになりました。
仕事で困っていた時に助けてもらえたり、家を出る直前に忘れ物に気付いたり等・・・
これらが守護霊のおかげだと言ったら、ちょっと危ない奴だと思われそうですが、もし私に守護霊がいたとしたら、私をどのように導こうとするでしょうか?
やはり音楽や娯楽を辞めさせ、仕事一本に励むように導くのではないでしょうか?
2019年の東京での思いが、まさかこのような展開に繋がっていくとは・・・
今度こそ明るい未来が待っている!
私は「楽しみたい」を原動力に、未来への道を切り開く!
そういうつもりだったのに、実はその先にあったのは・・・
これはもうホラーの王道パターンですね。
考えてみれば、まず、今のような状態で私を雇ってくれている会社には感謝しなければなりません。
両親にも、恩返ししなければいけません。
私が復活するには親の協力も必要になってきます。
金銭的な面では絶対に頼らないつもりなので、ここ1年以上、節約を続けていますが、それ以外の面で世話になることがいろいろあります。
本当は親には一切頼るつもりではなかったのですが、思いがけない展開によって、そうならざるを得なくなりました。
つまり、復活後の私には、もう音楽や娯楽が入り込む余地は無いのかも知れないのです。
また休日出勤に長時間残業が当たり前の日々に戻り、日曜日の予定も安心して入れられない日々が戻ってきて、それが死ぬまで続くのでしょうか・・・
このご時世、それでも幸せだと思うべきでしょうか・・・
つくづく思うのですが、中小企業はまさに社会の縮図であり、経営者層は旅行に行ったりして娯楽を楽しんでいますが、我々従業員は「仕事があるだけありがたいと思え」と言われます。
我々従業員がいなくなったら空っぽの箱になるということが分かっていないのでしょうか?
ここで、最初の方に書いた「(コロナ禍の)このような状況の中でこそ、人の人間性が垣間見えたりします。」という件についてですが、仕事関係の知り合いから、上司がこのようなことを言っていたと聞きました。
「うちの会社の誰か感染してほしいなぁ・・・そうしたら自分が一番にならなくて済むのに」
こんなことを考えているような人間とも関わらなければいけない場合もあるのです。
ちなみにその上司という人物は、外ではマスクをしていますが社内ではマスクをしていないそうです。
それにどういう意図があるのか?
まぁあまり考えたくもありません。
ちなみに私が働く業界では「わしらの若い頃はもっときつかった」とか「若い奴には最初にガツンといわさなあかん」とか、そういう悪い意味で昭和的な感覚が残っています。
これでは若い世代が育ちません。
育っても同じようなタイプが育つだけでしょう。
現場における休日出勤や残業は書類上減ることになるかも知れませんが、無駄な書類が増えることで表に出ない労働時間がますます増えていくでしょう。
このような業界で死ぬまで働くことが守護霊様のお導きなのでしょうか?
それは何とも分かりません。
ただ、復活までの期間、私には時間的、そして精神的な余裕があります。
この期間、単に作品を作るだけではなくスキルアップに大いに励みたいです。
2020年は「今のうちに出来ることを!」という気持ちで励んできましたが、2021年は「今のうちにスキルアップ!」をモットーに頑張ろうと思っております。
このスキルアップは音楽だけではなく、いろんな面でやっていきたいと思っています。
復活に向けて・・・

では最後に、私が25歳の時に作った曲を貼り付けます。
実はこの曲は以前にもアップしていましたが、動画を再編集してアップし直しました。
思えばこの曲を作った当時、私はまだ25歳の若者でしたが、当時なりに悔やんでも悔やみきれない想いなどがありました。
人生は常に新雪を踏みながら歩いていくようなものであり、歩んできた道にはくっきりと足跡が残ります。
でも、その新雪に残った足跡に、また新たな雪が降り積もってゆっくりと足跡が隠されていくように、辛い思い出や様々な想いもやがて浄化されていく・・・
そのような想いで作った曲でした。


では、たまたまこの記事を読んでくださった皆様、本年が素晴らしい一年になりますように!

 

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