夢幻通り商店街

カテゴリ: 雑記・ぼや記


突然ですが、今後の予定を書きます。

まず、実は昨年から計画し始めていたことなのですが、3月中を目標に新しいブログを立ち上げる予定です!
そのブログでは私の音楽活動のことを中心に書く予定です。
内容的にはDTMのこと、そして過去のバンド活動で学んだことなども書きます。
特にバンド活動に関しては私なりに考えるチームワークとチームプレイの違いなど、バンドにおける人間関係のことなども書く予定です。

そして、最近到来したと言われる「風の時代」の影響もあり、いろいろと考えたことがありますので、人生観や人間関係のことなども書くつもりです。

で、このブログでは、ここしばらくグルメレポート的な記事ばかり書いておりましたが、この先はグルメレポート(ほとんどラーメン)や商店街、レトロネタ、そして天地真理ちゃんのことなどを書くブログとして継続していく予定です。

とは言え、新ブログを開設するまでの間は音楽活動についてもこちらでお知らせすることになります。

と言うわけで、お知らせですが・・・


明日2月11日の深夜、正確には2月12日に日付が変わってすぐを目標に、最新曲の動画をYouTubeにアップする予定です!
今回は過去曲のリメイクではなく、完全な新曲で、作詞はもちろん阿刀弘史です。
で、ボーカルなのですが、何と、あの東北きりたんさんに歌って頂きました!
では、またYouTubeにアップしたらお知らせ致します!
 


先日友達がおもしろいことをいっていた。歌舞伎の連中を琵琶湖に案内したが、比良山を教えても、一向に反応を示さない。で、「近江八景の比良の暮雪ですよ」といったとたん、みな感動してふり仰いだという。自然を活かしているのは言葉なのだ。或いは歴史といってもいい。もし「近江八景」というものがなかったら、比良の高嶺に雪が降ろうと降るまいと、誰も興味を持ちはしないだろう。ということは、自然は、――少なくとも日本の自然は、私たちが考えている以上に人工的なものなのだ。自然の破壊ということをやかましくいうけれども、その根は環境庁が考えているよりはるかに深いところにある。ただ保存するだけで、それが甦るとは思えないし、環境庁よりむしろ国語審議会の仕事かも知れない。

いきなり長い引用になりましたが、上記の文章は随筆家の白洲正子さんの著書「近江山河抄」から引用しました。
こういうことって、身に覚えのある方がけっこうおられるのではないでしょうか。
情報によって物の見方がガラッと変わってしまうということは誰にでもあると思います。
私はそれを一概に悪いとは思いません。
そのような情報が価値あるものを正しく理解する入口になれば、それも良いキッカケだと思います。
とは言え、自分の中の「価値観」が曖昧で、常にブレていたり、人に合わせて意見をコロコロ変える人というのは困ったものです。

ところで、私は1月7日の記事で、世の中が「土の時代」から「風の時代」に移り変わったという件に触れましたが「土の時代」の人間関係は「上下関係」が重要だったのに対して「風の時代」では「横のつながり」が重要になってくるそうです。
今まで私たちは、手の届かない「高いところにいる人」に影響されて動かされてきましたが、これからは「身近にいる人」たちとコミュニケーションしながら自分の価値観や考え方を作り上げていく時代になるようです。
そして、この「身近にいる人」というのは隣近所の人たちという意味ではなく、自分と同じような立場の人という意味です。
21世紀に入る少し前にはインターネットが普及し、世界中の自分と同じような立場の人とのコミュニケーションが行われるようになり、やがてSNSが登場したことで、さらに強い「横のつながり」が生まれています。
つまり「土の時代」の終わりが近付いてきた頃、既に「風の時代」への準備が始まっていたということだと思います。
しかし、現状はまだ「移り変わり」の時期だと思います。
そのような微妙な時期だからこそ、様々な問題が浮き彫りになってくると思います。
例えば、現代の若者は読解力不足と言われていますが、これは現代の若者の読解力が昔の若者と比べて低下したということでしょうか?
私は、若者の読解力不足はSNSやインターネット上のコミュニケーションなどによって浮き彫りになってきた問題であって、昔と比べて低下したということではないと思うのです。
つまり、昔から読解力の無い人はいたけれど、それが目立たなかったということだと思います。
皆さんのご両親はいかがでしょうか?
私の両親は、二人ともかなり読解力が低いです。
そして、私は読解力不足の人には大きく分けて2つのタイプが存在すると思います。
まず一つ目は「慌てて読む」「斜め読みする」などにより、要点を理解していなかったり勘違いしたまま感想を述べたり相手に返信したりして、読解力不足だと思われてしまうタイプ。
そして、もう一つは「文脈が読めない」「行間が読めない」などのように、文章の中に直接的に述べられていない部分に込められた書き手の意図を理解出来ない、あるいは想像すら出来ないタイプの人です。
前者のようなタイプは、じっくりと読むということを心がければ大丈夫な気がしますが、後者のようなタイプは改善できるのでしょうか?
思うのですが、後者のようなタイプがTwitterのような短文でのコミュニケーションをするのは非常に危険だと思います。
この「風に時代」の「移り変わり」の時期に浮き彫りになりそうな問題点は他にもいろいろあると思いますが、その辺りも整理して、また改めてじっくり記事を書くつもりです。

この先「風の時代」に人々が馴染むことが出来たら、価値観は実に多様化するでしょう。
比良山の雪景色を見て、何とも思わないのも、感動するのも、どちらもハズレではありません。

これは私が数年前に撮影した比良山の雪景色です。
比良山

夕日を浴びて、まさに比良の暮雪…
ではないんですよね。
この写真は朝に撮影したものです。
つまり、朝日を浴びている比良山なのです。
比良の暮雪の「暮雪」は夕暮れの雪景色という意味らしいので、これは「比良の暮雪」ではありませんね。
で、実は白洲正子さんは「近江山河抄」で、比良の暮雪の「暮雪」のとこを春の残雪というふうに解釈されていました。
つまり、本来の意味と間違った解釈をされていたわけですが、白洲正子さんは、そのようなことがどうでもいいと思えてしまうくらい味わいのある文章を書かれます。
そして話の内容は目まぐるしく移り変わり、お寺や仏像の話をしていたと思ったら突然、古墳時代や神話の世界に話が飛んだりします。
このようなパターンは、学問としての歴史書には、まず無いパターンです。
しかし、綺麗な形の山があり、いにしえの人々がそこに神聖な何かを感じたからからこそ、古墳が生まれ、神社が生まれ、寺が生まれるという考えは非常に納得できる話であり、本質を捉えていると思います。

さて、話は変わりますが、今年はオリンピックが開催されるのかが気になるところです。
私は基本的に反対ではありますが、もし無観客で、安全最優先で開催出来るなら、現状ではそれがベストのような気がします。
何故なら、オリンピックで一番優先されるべきなのは選手であるべきだと思うからです。
もし私が選手の立場で、あと一年延期になった場合、体力的に無理とかだったら、やはり無観客でも勝負したいと思うでしょう。
しかし、実際のところ、オリンピックは選手よりも経済効果が期待されているのが実情だと思います。
それはそうと、前回の東京オリンピックの頃、つまり1964年、白洲正子さんはこのようなことを思っておられたそうです。

一九六四年、東京オリンピックが開催された秋、ある出版社の依頼で、西国三十三ヵ所の観音巡礼を取材した。日本中がオリンピックで沸きに沸いているのを尻目に、旅に出るのがいい気持だったからで、まだその頃は私にも多分に客気が残っていたのである。今から思うと気羞しいが、近江の山の上から、こがね色の稲田の仲を、新幹線が颯爽と走りすぎるのを見て、優越感にひたったものだ。お前さんはすぐ古くなるだろうが、こっちは数千百年を生きた巡礼をしているんだ、ざまぁ見ろ、・・・

この文章は「白洲正子自伝」から引用しました。
白洲正子さんは「韋駄天お正」と呼ばれていたそうですが、風のように軽やかに走り回りながら物事の本質を鋭く捉え続けた生き様は、まさに「風の時代」にこそ相応しい生き方であり、亡くなられてから22年経った現在でも語り継がれているのは、もしかしたら「土の時代」の中で、思いっきり「風の時代」的な生きた方をされた方だったからかも知れません。

で、ここまで読んでくださった方がどれだけおられるか分かりませんが、この記事を読むまで白洲正子さんを知らなかったという方は、おそらく白洲正子さんのことを、ちょっと変わった随筆家というくらいにしか思えなかったかも知れません。
それでいいと思います。
しかし、最後にちょっと土の時代っぽく「権威付け」をしておきます。
白洲正子さんは、伯爵の娘であり、能を習い、女性として初めて能舞台に立った人であり、吉田茂の側近として活躍した白洲次郎さんの奥さんでした。
どうでしょうか?
比良山の雪景色が、歌川広重の代表作の一つ「近江八景」の「比良の暮雪」だと知ってから、その風景に感動する人がいるように、白洲正子さんが凄い人だと知ったことで見る目が変わった方もいるでしょう。
しかし「風の時代」では、そのようなことはどうでもよくなっていくようです。
大切なのは権威よりも中身であり、本質です。
だからこそ「風の時代」は、本質を見る目が必要になり、今まで以上に自分で感じて考えるということが大事になると思います。



あけましておめでとうございます。
この記事は大晦日のうちにアップすることを目指していたのですが、日付が変わってしまい、新年に突入してしまいました。

昨年は新型コロナウイルスが猛威を振るい、私たちの生活も大いに混乱しました。
この混乱はまだまだ続きそうですが、このような状況の中でこそ、人の人間性が垣間見えたりします。
まぁ、それについては後の方で書くとして、まずはタイトル通り「運命」と「宿命」について思うことを書きます。
まず「運命」とは過去の結果であり、行動や心がけ次第でどんどん良い方向に変えていけるはずなのです。
それに対して、先祖代々の「業」など、生まれる前から背負ってきて、変えることの出来ないものを「宿命」と言います。
そう考えると「宿命」って、ちょっとオカルト的であり、現実的に考えると根拠が無さそうな気がしますが、考えようによっては「遺伝子」に組み込まれている情報は、まさに「宿命」と言えるのではないでしょうか。
では私は、どんな宿命を背負って生まれてきたのでしょう?
先述した通り「宿命」とは先祖代々、そして最も強い影響は両親から受けると思います。
また、遺伝子で考えると「隔世遺伝」とも言われるように祖父母の存在が大きく関わっているような気がします。
もし私が宿命に一切逆らわずに生きてこれたら・・・
つまり、流れに逆らわず、必要以上の欲も持たず、両親の期待にもある程度応えながら生きてこれたら、私はそこそこ平均的な人生を歩めたかも知れません。
しかし、やはりそのような人生は、残念ながら考えられません。
両親はもちろん、祖父母、そして親戚を見渡しても私はかなり特殊な人間です。
まず「音楽」をやっているという時点で突然変異種です。
そして、私には、やはり「音楽」と関わらない人生など考えられないのです。
長年、生活のために続けている仕事が「宿命」に逆らわずにやっているものだとしたら、私にとって音楽は「運命」を切り開くためにやってきたものです。
そして、私の人生を振り返ってみると「運命」と「宿命」が激しくバトルした時期が数回ありました。
不思議なもので、音楽活動が充実しそうになると、仕事がとんでもなく忙しくなり、単に時間を奪われるだけでなく精神的に音楽に集中できない状況に追い込まれるのです。
では実際に起こった出来事を振り返ってみましょう。
まずは1990年代の初頭、私にとって初めてのバンドらしいバンドであり、当時はプロを目指すつもりで取り組んでいたバンドでの初ライブの3か月前くらいから仕事が忙しくなり始め、ライブの直前まで1か月以上休み無しになり、夜は毎晩日付が変わるまで残業で、リハも満足に出来ない状況に追い込まれました。
次は1990年代中頃、私のリーダーバンドでの初のライブの直前も約2か月休み無しになり、夜は毎晩日付が変わるまで残業という状況が続きました。
それ以降も大事なライブの直前に仕事の忙しい時期が重なるということは度々ありましたが、この時ばかりは「運命の悪戯か?」と思ったのが2012年から2013年の出来事です。
これは正しくは「宿命の悪戯」と言うべきかも知れません。
まず、少し遡って2011年は、非常に充実したライブ活動が出来たにも関わらず、そのライブに向けて気持ちを高めていく余裕の無い日々が続いておりました。
相変わらずライブの直前まで連日の残業に休日出勤というパターンにはまっておりました。
しかし2012年になると、何となく自分を取り巻く状況が変わり、目の前が開け、一段上のステージに上がろうとしているような気配を感じたのです。
その予感は2012年の秋にはっきりと姿を現しました。
フランスの某レーベルからCDをリリースするというオファーがあったのです。
このレーベルからは日本のプログレ界の大御所の方たちもCDをリリースされているので、そういった人々と形の上だけでも肩を並べさせてもらえるという喜びがありました。
ただし、マスター音源を完成させるまでの締め切りがあり、オファーから約半年という納期を決められました。
普通に音楽中心の生活をしていたら可能な納期でしたが、仕事と両立するにはかなり厳しい納期でした。
しかし、このようなチャンスを捨てたくないと思い、挑むことにしました。
そして、その直後からでした。
このレコーディング期間に合わせるように残業及び休日出勤必至の仕事を命じられたのです。
まず最初に命じられた仕事は金銭的に折り合いが付かなかったので流れました。
こんなことを言っては何ですが、ラッキーだと思いました。
そう思って安心していたら次は県の工事で、真冬の滋賀県北部の、主に山奥での仕事を命じられました。
県の仕事なので日曜は休めるだろうという安心感はありましたが、真冬の滋賀県北部での作業はまさに命がけでした。
朝は5時頃に家を出て、現地の雪の状態を確認して、必要なら除雪車を手配し、2mほどの雪が積もった山奥へ行って作業し、夜には会社へ帰って書類を作成して家には10時半頃に帰るという日々が約3か月続きました。
途中でタイミングが悪ければ雪崩に巻き込まれそうになったり、吹雪の中での作業中にテントが飛んでいった時には、八甲田山の北大路欣也さんになった気分でした。
そのような仕事の合間の日曜日を利用してレコーディングをしました。
人生の中で最も音楽に集中したい時期でしたが、どの程度集中出来ていたでしょうか?
こう言っては何ですが、この頃の自分の気持ちが思い出せません。
とにかくこんな状況でレコーディング出来ていたのが、ただただ不思議です。
さらにその翌年には連続出勤期間こそ1か月弱でしたが内容のキツさでは過去最凶レベルの仕事を任され、深夜に現場の駐車場で倒れました。
ただ、その時、幸いにもクッションになるものがある場所に倒れたので、怪我はしませんでした。
「あぁ、私はまだ生かされるんやなぁ」と思いました。
このようなことを書くと「仕事を辞めれば良かったのでは?」と言う方もおられるでしょう。
まったくその通りです。
しかし、私にはそのような思い切った行動をする勇気がありませんでした。
だから何事も中途半端でした。
ただ、なぜこのように音楽活動の充実期に仕事の繁忙期が重なってくるのでしょうか?
これを今、振り返ってみると、やはり「運命」と「宿命」がバトルを繰り広げているということだとしか思えません。
つまり、私が運命を切り開こうとすると宿命が邪魔をするのです。
そんな宿命なら捨ててしまえ!と言いたいところですが・・・
一つ、はっきり言えることは、もし私がバンド活動の充実期に仕事を捨てていたら、かなり高い確率で私は現在、この世にいなかったと思います。
結局、2017年に宿命に逆らわずにバンド活動を辞めましたが、その後は、いろんな膿を出すことが出来たと思います。
で、気が付けば体もボロボロになっており、自分でも気づいていないうちに心筋梗塞になっていたらしく、生きているのが不思議な状態だったそうです。
2017年にバンド活動を辞めて「宿命」に逆らわずに過ごしているうちに、2018の後半からは「運命」も好転してきたような気がしてきました。
やむを得ない事情とは言え、以前より時間的にも精神的にも余裕が出来たことで個人的な作曲活動や動画制作に力を入れることが出来ました。
地味な活動ではありますが、自分としては以前よりもクリエイティブな活動が出来ている気がしておりました。
このまま細々と穏やかに・・・
2019年の秋まではそのように思っていました。
しかし、2019年の秋に東京を訪れた時に気持ちが変わりました。
シンプルに「もっと楽しみたい!」と思ったのです。
以前のような高い目標を持つつもりはないけれど、もう一度ステージでライトを浴びて演奏したい!
それが実現したら東京で私にこのような気持ちにさせてくれた人に感謝して、元気な自分を見せたい!
そのように思いました。
それ以降は「復活」に向けての準備がスタートしました。
まず私に「復活」の望みがあるのか?これが問題でした。
その答えが出るのが2020年の6月でした。
もし、ここで復活の可能性が消えたら私は力を落とし、生きる意欲を失くすと思いました。
なので、結果が出る前に、何とかして完成させたいと思って作ったのが最新曲の「蒼い花」でした。
この曲には自分自身が復活したいという想いを込めました。
そして、もう一つ、天地真理ちゃんの「恋する夏の日」のメタルバージョンです。
自分自身にエネルギーが無くなったら真理ちゃんを応援する気力も失ってしまうかも知れません。
だから気力のあるうちに、真理ちゃんに若返ってもらいたいという想いを込めて作りました。
で、結果的に私に「復活」の望みはあるということになりました。
時間はかかりそうですが、日々大切に過ごし、運が良ければ2年くらいで復活できるかも?です。
ただ、ここから先は、本当に運だと思っています。
自分にその運があるのかが試されているのだと思っています。
先述した通り、私が前向きになったのは2019年の秋に東京を訪れた時でした。
以前のように高い志を持っているわけではありませんが「楽しみたい」というシンプルな気持ちが「復活したい」という思いに繋がったのですから、やはり人間にとって「楽しみたい」という気持ちがいかに大きな力になるのかということを身を以て実感しました。
ただ、この「楽しみたい」という気持ちによって復活を目指すということは、おそらく宿命に逆らう行動になるでしょう。
しかし、やはり「楽しみたい」という気持ちがあるからこそ人間は頑張れるのであり、それは人間にとって極めて根本的なことであり、それに気付くきっかけを東京で得られたということは、やはり私は何か強い力に導かれているのではないか?と思えたのです。
2020年の6月に「復活」の可能性を得られてからは、そのようなことを信じながら、かなりエネルギッシュに過ごしてきました。
ところが・・・

ここへきて、根本的に考え方を改めなければいけないような気持ちになってきました。
先述した通り、私は「楽しみたい」というシンプルな気持ちを原動力にして運命を切り開こうと思ったわけです。
つまり、再び人生を謳歌するために復活を目指したわけですが・・・
私はもしかしたら「宿命」のために復活させられるのではないか?
そのように思えてきたのです。
復活させられる・・・
つまり2019年の東京から現在まで、実は「宿命」の力に流されてきたような気がしてきたのです。
宿命の力とは・・・
「守護霊」というものが誰にでも存在すると言いますが、私は、ここ最近、この「守護霊」の存在を感じることが多いのです。
実は先月、思いがけない出来事がありました。
詳しくは書きませんが、私にとって「宿命」に負けず「運命」を切り開いて生きていく上での大きな心の支えを失いました。
この時、私は長い間見ていた夢が一気に覚めて、現実に引き戻された気がしました。
しかし、どういう訳か、その時、私は目の前の出来事に「逆らわない」ということを強く意識したのです。
本当は逆らいたかったのです。
将来のことも考え、自分の中で、いろいろと決意が固まりつつあった矢先のことでした。
なぜこのタイミングで?
衝撃的かつ不思議な展開でしたが、私がこの展開に「逆らわない」ということを意識して過ごすうちに、些細なラッキーが続くようになりました。
仕事で困っていた時に助けてもらえたり、家を出る直前に忘れ物に気付いたり等・・・
これらが守護霊のおかげだと言ったら、ちょっと危ない奴だと思われそうですが、もし私に守護霊がいたとしたら、私をどのように導こうとするでしょうか?
やはり音楽や娯楽を辞めさせ、仕事一本に励むように導くのではないでしょうか?
2019年の東京での思いが、まさかこのような展開に繋がっていくとは・・・
今度こそ明るい未来が待っている!
私は「楽しみたい」を原動力に、未来への道を切り開く!
そういうつもりだったのに、実はその先にあったのは・・・
これはもうホラーの王道パターンですね。
考えてみれば、まず、今のような状態で私を雇ってくれている会社には感謝しなければなりません。
両親にも、恩返ししなければいけません。
私が復活するには親の協力も必要になってきます。
金銭的な面では絶対に頼らないつもりなので、ここ1年以上、節約を続けていますが、それ以外の面で世話になることがいろいろあります。
本当は親には一切頼るつもりではなかったのですが、思いがけない展開によって、そうならざるを得なくなりました。
つまり、復活後の私には、もう音楽や娯楽が入り込む余地は無いのかも知れないのです。
また休日出勤に長時間残業が当たり前の日々に戻り、日曜日の予定も安心して入れられない日々が戻ってきて、それが死ぬまで続くのでしょうか・・・
このご時世、それでも幸せだと思うべきでしょうか・・・
つくづく思うのですが、中小企業はまさに社会の縮図であり、経営者層は旅行に行ったりして娯楽を楽しんでいますが、我々従業員は「仕事があるだけありがたいと思え」と言われます。
我々従業員がいなくなったら空っぽの箱になるということが分かっていないのでしょうか?
ここで、最初の方に書いた「(コロナ禍の)このような状況の中でこそ、人の人間性が垣間見えたりします。」という件についてですが、仕事関係の知り合いから、上司がこのようなことを言っていたと聞きました。
「うちの会社の誰か感染してほしいなぁ・・・そうしたら自分が一番にならなくて済むのに」
こんなことを考えているような人間とも関わらなければいけない場合もあるのです。
ちなみにその上司という人物は、外ではマスクをしていますが社内ではマスクをしていないそうです。
それにどういう意図があるのか?
まぁあまり考えたくもありません。
ちなみに私が働く業界では「わしらの若い頃はもっときつかった」とか「若い奴には最初にガツンといわさなあかん」とか、そういう悪い意味で昭和的な感覚が残っています。
これでは若い世代が育ちません。
育っても同じようなタイプが育つだけでしょう。
現場における休日出勤や残業は書類上減ることになるかも知れませんが、無駄な書類が増えることで表に出ない労働時間がますます増えていくでしょう。
このような業界で死ぬまで働くことが守護霊様のお導きなのでしょうか?
それは何とも分かりません。
ただ、復活までの期間、私には時間的、そして精神的な余裕があります。
この期間、単に作品を作るだけではなくスキルアップに大いに励みたいです。
2020年は「今のうちに出来ることを!」という気持ちで励んできましたが、2021年は「今のうちにスキルアップ!」をモットーに頑張ろうと思っております。
このスキルアップは音楽だけではなく、いろんな面でやっていきたいと思っています。
復活に向けて・・・

では最後に、私が25歳の時に作った曲を貼り付けます。
実はこの曲は以前にもアップしていましたが、動画を再編集してアップし直しました。
思えばこの曲を作った当時、私はまだ25歳の若者でしたが、当時なりに悔やんでも悔やみきれない想いなどがありました。
人生は常に新雪を踏みながら歩いていくようなものであり、歩んできた道にはくっきりと足跡が残ります。
でも、その新雪に残った足跡に、また新たな雪が降り積もってゆっくりと足跡が隠されていくように、辛い思い出や様々な想いもやがて浄化されていく・・・
そのような想いで作った曲でした。


では、たまたまこの記事を読んでくださった皆様、本年が素晴らしい一年になりますように!

 


クリスマスイブですね。
今夜はロマンティックな気分に浸るために綺麗な夜景の見えるお店へ行ってまいりましたの。
夜景

天下一品の御殿浜店です。
天一御殿浜店

そして、せっかくなのでクリスマスらしいものでも食べようと思い、唐揚げ定食(ラーメンこってりニンニク入り)を注文しました。
唐揚げ定食

私にとって天下一品のこってりは第一旭やラーメン藤と並ぶ永遠の青春の味です。
このこってりスープに少し辛味噌を入れて食べると懐かしい思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのです。
そう言えばこの御殿浜店がオープンしたのはいつ頃だったでしょうか・・・
曖昧な記憶ですが、御殿浜店は、かつて国道1号線沿いの石山と膳所の中間辺りの、現在マツヤスーパーなどがある辺りにあったパチンコ屋の敷地内に存在したお店が無くなってからオープンしたと記憶しています。
つまり、その国道沿いのお店が移転したということかも?と思うのですが、もう随分と昔の話です。
ちなみに現在、国道沿いに膳所店がありますが、かつて存在したお店はもっと石山寄りでした。
天下一品は厨房が見えないお店が多いですが、かつて国道沿いに存在したお店は厨房をカウンターで囲む昔ながらの正統派なスタイルでした。
そして、さらに昔に遡ると、その場所に天下一品がオープンする前には確かビッグワンという名前のラーメン屋さんが存在したと記憶しております。
このビッグワンには一度だけ訪れてとんかつ定食を食べたのを憶えています。
極めて普通の醤油ラーメンと、とんかつとライスのセットでした。
ふと思ったのですが「天下一品」と「ビッグワン」は店名に通じる部分がありますね。
もしマツヤスーパーなどが建ち並んでいるエリア附近に天下一品の新店舗が出来て、その名が「天下一品ビッグワン」になってメニューにとんかつ定食があったら絶対行きます。
で、ついでに思い出したのですが、その天下一品の隣にはディスカウントショップのミキがありました。
あのゴチャゴチャした店内が好きでした。

そのような懐かしいことを思い出しながら次に立ち寄ったのは昨年のイブにも訪れた草津駅東口側の商店街です。
草津商店街

昨年工事中だったタワーマンションも完成し、街は新しく生まれ変わり、けっこう賑わっていました。
このコロナ禍のご時世に街が賑わっているのを見て喜んでいると、ちょっと不謹慎だと思われそうですが、やはり街の賑わいを見ていると心が温かくなります。

駅前は毎年恒例のイルミネーションが綺麗でした。
イルミネーション1
イルミネーション2

そして、次に訪れたのは、いつものセブンイレブンです。
昨年のイブにも訪れた三上山の近くにある野洲南桜店です。
セブンイレブン

昨年の記事にも書きましたが、20代の頃、イブの夜にここで塩焼きそばを買って墓地の駐車場で食べて、時が流れ去るのを待ちました。
あの頃、一人で過ごすクリスマスイブは死にそうなくらい淋しいものでした。
塩焼きそばを半分くらい食べたところで力尽き、車の中で死亡しているところを発見されたら、検視の結果、死因「孤独」とかになるのでしょうか・・・

で、今夜は食事は済ませていたのでデザートを買いました。
クリスマスらしく、いちごショートです。
いちごショート

そして今夜は墓地の駐車場ではなくセブンイレブンのすぐ近くにある桜緑地の駐車場へ行ってケーキを食べました。
ここから見る三上山はとても良い形をしています。
桜緑地夜

ここに初めて訪れたのは2006年のことでした。
当時、仕事でこの辺りに来ていたので、たまにここで休憩していたのです。
そして、この場所にはプライベートでも何度か訪れました。
春は桜が見事です。
桜緑地桜

これは昨年訪れた時の写真ですが、雨が降っていたのでこれはこれでなかなか良い風景でした。
桜緑地雨

そして一番最近訪れたのは9月の連休の時でした。
あまりにも夕焼けが綺麗だったのでここで写真を撮りました。
桜緑地夕焼け

自分でも不思議なくらい、この場所には愛着があります。
なぜなのか・・・
ちょっと疲れた時や、癒されたい気分になった時、そして、ただ何となく「ここでええか」みたいなノリで訪れる場所でした。
何となく訪れて、ゆったりと流れる時間の中で過ごす・・・
そのようなひと時が本当にかけがえの無いものだったのだとしみじみ感じています。


この後、少し遠回りをして帰宅し、今、この記事を書いています。
年内には多分、あと2回ブログを書くと思います。
まず一つ目は今年の音源制作活動を振り返る記事、そして大晦日には今年の全般と来年に向けてのことを書くつもりです。

例年なら盆が明けると少し涼しくなりますが、今年はまだまだ暑い日が続いておりますね。

私は建設業関連の仕事に従事しているので、長年に渡り炎天下で熱中症と戦ってきました。
しかも現場を管理する立場なので熱中症対策に関する教育も受けています。
つまり、熱中症対策に関してはスペシャリストなのです!!

で、先ほどから「熱中症」と書いておりますが「熱中症」とは高温の場所で起こる障害の総称です。
これが勘違いを生み、熱中症には水分補給さえしていたら大丈夫と思っている人がいるようです。
熱中症という大きな括りの中に「熱射病」「日射病」「脱水症」があり「熱射病」「日射病」と「脱水症」は切り離して考えるべきだと思うのです。
暑いところに長時間いることによって体温が上がって下がらなくなってしまう状態が熱射病や日射病なので、そこに水分をいくら補給しても一時的に爽やかな気分になるだけです。
つまり、そこまでいってしまうと「焼け石に水」状態なのです。
「熱射病」「日射病」の疑いがあったら、とにかく涼しい場所で休むことです。
私も経験がありますが、暑いところにいる間はいくら水分補給しても喉の渇きが収まらないのに、涼しいところへ移動すると、わりとすぐに喉の渇きが収まったということが度々あります。
つまり、これは体内の水分が不足していたのではなく、体内の熱を鎮めるために水分を欲していたということです。
車で言えばガソリンが足りていなかったのではなく、ラジエーターが壊れてエンジンがオーバーヒートを起こした状態になっていたということです。
このような状態になってしまうと、いくら水分を補給してもキリがありません。

さて…
私は知識だけでなく自分の体で熱中症と戦ってきたのですが、その私に対して、おそらく知識だけで反論してきた方がいます。
その方はいわゆる栄養士さんなのですが、スポーツドリンクには塩分が含まれているので血圧の高い人や腎臓の悪い人は飲んではいけないと言うのです。
もちろん、かなりの高血圧の人や、透析が必要になりそうなくらいに腎臓の悪い人なら飲まない方が良いかも知れませんが、基準を僅かに上回る程度の人なら飲んでも問題ないと思うのです。
ちなみに私は基準を少し上回ることがたまにあるというレベルです。
ところで、皆様はコンビニや自販機で売っているスポーツドリンクの塩分量をご存知でしょうか?
500mlのペットボトルのスポーツドリンクに含まれる塩分量は僅か0.5~0.6g程度です。
多分ですが味噌汁を具だけ食べて汁を捨てても0.5gくらいの塩分を摂取してしまうと思います。
しかも大量に発汗して失われた塩分を補給するために飲むのですから、何の問題があるというのでしょうか?
これは私が身をもって経験して実感したことなのですが、ミネラルが不足すると就寝中や体を休ませた時に足がつることがあります。
足がつるのは熱中症のサインの一つですが、これは適量のスポーツドリンクを飲むことで回避できます。
そして、もう一つ、これを私は声を大にして言いたいのですが、体が塩分を必要としている時にスポーツドリンクを飲むと甘みが強く感じられます。
この甘みはベタッとした甘みではなく爽やかな甘みです。
では、この甘みは何によるものなのか?
私は塩分だと思うのです。
体が本当に塩分を必要としている時、塩分が甘く感じられるのだと思うのです。
スイカに塩をかけて食べると甘いと言われますが、考えてみればスイカは夏に喉が渇いている時に食べることが多いので、実は同じような理由で甘みを感じるのではないでしょうか。
もちろん塩に何らかの甘み成分が含まれているからこそ甘みを感じるのだとは思いますが、それは体が塩分を欲した時に強く感じられるのだと思います。
このように、私は何年にも渡って真夏の炎天下で仕事をしてきたので、水分補給にスポーツドリンクが適しているということを知識だけでなく体で実感していますが、いまだにスポーツドリンクを「グレープフルーツの薄い奴」というくらいにしか感じられない人がいます。
そのような人には一度、本当に喉が渇いた時にスポーツドリンクを飲んでいただきたいです。
多分、本当の美味しさを実感できると思います。
ただし、脱水症状に近い状態になったらスポーツドリンクよりも経口補水液をおすすめします。


ところで、私が初めて飲んだスポーツドリンクは大塚製薬のポカリスエットでした。
当時私は小学生で、野球チームに入っていました。
試合の後にポカリスエットが配られたので、その時に初めて飲んだのですが、喉が渇いていた時に飲んだポカリスエットは猛烈に感動的な美味しさでした。
爽やかだけど薄っぺらくなくて、渇いて疲れた体に必要なものが一気に浸透していくような感覚がありました。
これがスポーツドリンクの第一印象だったので、それ以降、喉が渇けばスポーツドリンクを欲するようになったのは言うまでもありません。
考えてみれば、私は最高のシチュエーションでスポーツドリンクの初体験を迎えることが出来たと言えます。
逆に考えれば最低なシチュエーションで初体験を迎えると、そのイメージが固定されてスポーツドリンクを好きになれないかも知れません。
スポーツドリンクが誕生してからおそらく40年近く経つと思いますが、いまだにスポーツドリンクを「グレープフルーツの薄い奴」という程度にしか感じられない方がいたとしたら、その方は初体験のイメージが払拭されていないか、本当にそういう味覚の持ち主なのかの何れかでしょう。


さて、話は変わりますが、ポカリスエットのことを皆さんはどのように呼びますか?
普通にポカリスエットという方もおられると思いますが「ポカリ」と呼ぶのが一般的だと思います。
しかし、中には「ポカリス」と呼ぶ人もいるようですね。
実は私も小学生の頃は「ポカリス」と呼んでいました。
つまりポカリスエットをポカリ・スエットではなくポカリス・エットだと思っていたのです。
なぜこのような勘違いが生じたのか?
私には思い当たる理由がありました。
その理由が確かなものであるということを立証するためにYouTubeで、とある動画を探してみると・・・
ありました!
このポカリスエットの初代CMです。

このCMでは「ラ ソ# ファ# ミ シ~ラ~ 」というメロディに合わせてポカリスエットと歌われるのですが、このように「ポカリス」までは下降し「エ」で一気に最高音まで上昇します。
つまりメロディのイントネーションが「ポカリス・エット」なのです。
このCMを見てしまった人ならポカリスエットのことを「ポカリス」と呼んでも仕方がないと思います。
こんなことを書くと己惚れているようですが、このCMの「ポカリスエット」を聴いて「ポカリス・エット」というニュアンスが感じられた人は音楽的センスがあると思います。
ただし、その後すぐに「ポカリスて何やねん?」「エットて何やねん?」と、疑問が湧き出てくる人は、音楽的センスに加えて危機管理能力やバランス感覚に優れた頭の良い人かも知れませんね。


2020年8月31日(月)追記

今回の記事ですが、友人や音楽仲間のSNSで、この話題でちょっと盛り上がったそうです。
その中で、私の音楽仲間からこのようなご意見がありました。
「音程じゃなくて、リズムだけで考えたらポカリ スエット~♪って区切られているように聞こえるのは私だけ?」
このご意見に、私はハッとしました。
「まさか!?」
そう思った私は「それ」を意識して、改めてこのCMを見てみました。
私が意識した「それ」とは、ポカリの「ポ」の手前に存在する「ン」です。
この「ン」は音には出ていません。
音は聴こえないけど、存在するもの…
そうです!休符です!!
カウントを入れると解りやすいと思いますが、私は休符を意識せず「1.2.3.4 | ポカリス | エット~」というふうに聴いていました。
しかし、正解はもしかしたら「1.2.3.4 | ンポカリ | スエット | ~ 」かも知れません。
このように聴こえたら「ポカリ・スエット」と聴こえても何もおかしくありません。
考えてみれば「スエット」のイントネーションにこのメロディは合っています。
これを確認するために手前のSF映画風のBGMから拍を意識して聴いてみたところ・・・
まさかの「1.2.3.4.5.6.7.ポカ | リスエッ | ト~」
もう、ポカって何やねん!リスエって誰やねん!という状態になってしまいました。
恐らくですが、手前のSF映画風のBGMとポカリスエット~は独立したものだと思います。
結局、手前に休符があるのか無いのか、音楽を聴いている分には判断できないままですが、何となくあのメロディの手前に休符があるような気がしてきました。
そして、あのメロディの手前に休符を感じながら聴ける人って、すごくセンスのある方だと思います。
情けない話ですが、センスが無いのは私の方かも知れません。
もう、音楽をやめた方が・・・
いや、そこまで思っておりませんが・・・
ところで、この件で一つ思い出した曲があります。
超有名な曲ですが、レッド・ツェッペリンのロックン・ロールです。
曲の冒頭のドラムですが、普通に聴くと「タツツタ | ツタツツ | タツツタ | ツタツツ」と聴こえると思います。
しかし正しくは「ンタツツ | タツタツ | ツタツツ | タツタツ | ツタツツ」ですね。
つまり最初に聴こえてくるスネアの手前に休符が存在しているのです。
これを私は知識として知っているのでライブで演奏する時は後者のように休符を歌いながら演奏しましたが、本物を何度聴いても冒頭の休符を感じることが出来ません。
分かっていても「タツツタ | ツタツツ | タツツタ | ツタツツ」としか聴こえないのです。
これは、さすがに仕方のないことだと思いますが、もしかしたら頭の休符を感じられる人って存在するのでしょうか?
いたら本当に凄い感覚の持ち主だと思います。
皆さまはどうでしょうか?

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